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大阪のマーケティングリサーチの専門機関、市場調査社のスタッフブログです。
日常生活でスタッフが感じたことや、弊社のサービスの紹介をしていきます。

Win-Win大作戦(浜本)2023年6月2日 金曜日

少し前の話になりますが、自称:Win-Win作戦を敢行しました。
私は二十歳の頃から喫煙をしている愛煙家です。
世間一般的には嫌われ者です。

結婚してからの我が家の喫煙ルールは「家の中では吸ってはいけない」
この一点でした。
これまでこのルールを破ったことはなく家庭内における喫煙生活は順調でした。

ただ昨今の世の中の流れ、家庭の事情から新たな不満(課題)が妻から噴出しました。

・妻からすると、私の身体が心配
・タバコを吸った後に身体に付着する「ニオイ」が不快である

この2つを理由に猛烈な反喫煙運動が家庭内に勃発しました。


妻からは毎日のように圧がかかるようになりました。

・病気になってもしらんからな
・病気になっても面倒みいひんで~
・早死にするで~
・玄関先でタバコをふかして家内に戻ると「くさっ!」と一言
・「タバコのニオイが収まるまで、家内に入らないで!」
・「家でのタバコの本数を減らして!」

・「そもそもタバコを辞めて!」

あ~、なんて肩身が狭い状況なんだろう~
タバコくらい自由に吸わしてくれよ~
でも、吸わない人からしたら、タバコのニオイは不快以外のなにものでもないよな~
でも、吸うたびに抗議の嵐、、、
吸っている私も、吸っていない家族も不快、不満、モヤモヤ、、、

この危機的状況を脱するには

・タバコを辞めるか
・タバコを家では吸わないようにするか
・耳をふさいで吸い続けるか

のいずれかだろうなあと思い至っていました。

そんな折、ふと考えたことがあり
妻の本音(真の願い)は、どこにあるんだろうと
つまり「私の健康への配慮」「自分へのニオイ被害の回避」
どちらも願いには違いないけど、優劣が存在していそう【仮説】
仮に「私の健康への配慮」が最重要内容であれば、解決方法としては
「できるだけ本数を減らす」、さらには「タバコを辞める」に絞られる。
仮に「自分へのニオイ被害の回避」が最重要内容であれば、
「家では吸わない」「煙が少ないタバコに変える」などが考えられる。

私的にはタバコを辞めるという選択はないので後者の仮説にかけてみた。
そう「自分へのニオイ被害の回避」が最重要内容であると。
以前よりもテレワークも増加しており「家では吸わない」はかなり苦痛。
「煙が少ないタバコに変える」これまで色んなタイプの電子タバコ(風も含めて)を試してきたが、どれもピンとこない。タバコを吸わない人からしたら、「どれも同じでしょ」って思われそうですが、お肉の代わりにお野菜を食するようなもの。腹は満たせるけど食べたいのは「肉の味、食べ応え」などなど。

そんな折、親せきと食事をする機会があり、話題が「タバコ」の話に。
その人も家族から「ニオイがくさい」と言われていたが、ある電子タバコに変えてから劇的にニオイが減少し、家族からも「ニオイ」の指摘がなくなったと。
よくよく聞いてみると紙巻タバコの吸い心地、味わいを保ちつつ、煙がほとんどでないという電子タバコがあると。
横でその話を聞いていた妻もまんざらでもなかったように見受けられたので、早速、購入し試してみました。

いいぞ、いいぞ、昔の電子タバコとは次元が違う吸い心地、味わい。
紙巻タバコを吸っているのと遜色なし。

一番気になる「ニオイ」
妻に確認すると「全く臭わないらしい」
さらには「これなら、私(妻)から文句を言われずにタバコが吸えるね」と。

おー、仮説ビンゴ。
勿論、妻が私の健康を心配してくれているのは間違いない(と固く信じている)。
ただ、気分転換でタバコを吸っている私も気持ちも理解できる(理解してあげたい)。
しかしながら、その際に自分(妻)の身に降りかかる不快は勘弁して欲しい。
これで、お互いストレスを抱えることなく、目的が達成できたね。
ってところでしょうか。

私と妻の両方の願いを叶えてくれた電子タバコを愛用して以降、
今のところ、妻から以前のような「タバコ辞めれば」というコトバは一度も発せられていません。


<この体験で学んだこと>

●真の願いは1つではない。
●複数ある真の願いの中にも優先順位が存在する。
●真の願いが言語化される際に自己利益よりも他者利益の方が優先されそう

(人間という生き物の素晴らしい点でもある。一方で偽善とも取れる)
どちらが正しいという訳ではない。
その時、その人が放ったコトバが、その時の正解なんだと思う。

●一見して、どちらかの願いを取り下げることでしか実現できない「やりたいこと(実現したいこと)」は、実はココロの奥底にある「優先したい真の願い」を知ることで解決の糸口が見つかる。

仕事でもプライベートでもWin-Winで過ごしていけたらなあ~と感じています。

(浜本)

AIとヒューマンワーク(山本)2023年4月27日 木曜日

ここ最近、ChatGPTの一般公開・活用によるワーク環境の革新性(と脅威)が取り沙汰されています。
ChatGPTの活用拡大によって、ビジネスにおける多くの領域の効率化・リッチ化が図れるとともに、データの安全性・信憑性・倫理性が担保できないことから、利用制限や開発自体のペンディングを求める声も少なくありません。

ネット環境の一般化・技術向上により、ルーティンワークの大部分がChatGPTに代表されるAI技術に取って代わる事になるとは、元々言われてきたことです。ここ10数年の間でみても、コールセンターや各種の窓口業務の一部はすでにITで自動化されたシステムで処理されています。

私が「AIでは対応できない、すなわちこれからのビジネスパーソンとして生き残るための必須能力」として考えていたのは以下の4つでした。

①「課題設定力」
膨大なデータバンクに対して、そもそも解決すべき事柄が何なのかを設定、指示する能力

 

②「アイデア創出力」
事業、商品はもちろん、人間の営み全てにおけるアップデートを「アイデア」とした場合、その創出において人間の持つ創造性・情緒的な感性が必要とされる、その能力

 

③「編集力」
得られた有象無象のデータを取捨選択して、それぞれを有機的に結びつけることで、情報の受動者にその内容を過不足なく、伝わりやすい形式(ストーリー化、起承転結・・・)でまとめ上げる能力

 

④「判断・決断力」
まとめ上げられたデータを元に、その時々の環境に応じて、ビジネス的な判断を下す能力

当然ながらAIの技術革新のスピード・精度アップは想像以上であり、上記に掲げた4つの能力のうち、「アイデア創出力」「編集力」については、すでにAIを用いることである程度は代替できるようになっているのでは、と思います。

「アイデア創出力」の分野においては、人間の感性や創造力がモノを言う分野であり、AIでは対応できないものとされていました。
ただ昨今は各シンクタンク、エージェンシーでAIを用いたアイデア創出ソフトを活用していると聞いております。
そもそもアイデアが全くのゼロから生み出されるのであればともかく、実際にはジェームズ・ヤングが唱えるところの「アイデアとは既出の要素の新しい組合せである」という事であれば、それこそAIによって、様々な事象を意味性のあるつながり・組合せにして、それらを無限に生成することができます。

また編集能力についても、いまではChatGPTにお題を放り込むだけで、ストーリー性を担保したアウトプットが出来上がります。
これまでのように、データを集めて自分でストーリーを作らなくても、ある程度のアウトプットは瞬時に出来上がります。
小学生は夏休みに課題書を読まなくても、独自のワードを入れることで、読書感想文を簡単に作れるということです。

上記を例えるなら、これまでは富士山登山に麓からあくせく歩いていたのを、5合目までのベースはショートカットして車で上ることが可能になった、ということになります。もちろん山頂までのゴールは自らの足で到達する(人間としての感性)ということだと思います。

となると、ビジネスパーソンが対AIとして自らのヒューマンとしてのアイデンティティを発揮できるのは、「課題設定力」「判断・決断力」、つまりビジネス上のワークフローにおいて、入口と出口に該当するステップではないか。
この2つに共通しているのは、人間の経験に基づく洞察や知見、感情・感性が欠かせないということです。
何をインプットするか、アウトプットとして出てきた結果についてどう判断するか。
この感覚のアップデートと経験の積み重ねが肝要であり、それらは仕事上で与えられるものだけではなく、生きるうえでの様々なシーンで自らに課していくことが必要ですね。

今後さらにディープラーニングが多層的に進化して、「課題設定力」「判断・決断力」領域までも対応可能という時代が来るとすれば、それこそ人間がAIに使われる世界の到来、ということになります。
P・K・ディックが「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」で50年前に問題提起していたように、「ヒューマンアイデンティティ喪失・再生」という既存の倫理・概念を覆す新たなステージですね。
そんな時代にどう生きていくのか、はそれこそ想像もつかない世界です。

(山本)

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