大阪のマーケティングリサーチの専門機関、市場調査社のスタッフブログです。
日常生活でスタッフが感じたことや、弊社のサービスの紹介をしていきます。
ブログやTwitter、掲示板などで、知らない人の生活や体験、意見を見るのが好きで、毎日結構な時間を費やしてしまっている。過去の、現在の自分に似ている人、未来の自分かもしれない人、選択が違えば現在の自分だったかもしれない人。ドラえもんの「もしもボックス」で行ける世界が、部屋にいながらにして実現する。
共感できる人、共感できない人。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもので、下手な小説やノンフィクションよりもずっと面白い。ゆるやかに世論が変化する様子を見ていると自らが歴史の中にいることが実感できるし、人が悩み成長する姿は、さながら子育ての疑似体験である。
今に始まったことではないが、世の中には何者かになりたい人が多い。自らが発信できるにようになったことで、有名になるルートが増え、強みとしてアピールできるものが増えた。Twitterでフォロワーがたくさん欲しい人達に対して、●●をしている(したことのある)×△△といった自己PRをすることを指導している一派があるらしく、営業成績一番を取ったことのあるママとか、田舎に暮らす経理のプロといったプロフィールをよく見る。
掛け合わせることで希少価値を演出するのが目的のようだ。これのよいところは、たまたま経験したことがそのまま強みになることである。就職した会社を3日で辞めたことも、パートナー選びに失敗したかもしれないことも、自らの失態で借金ができたことも、どんな自虐的なことでもアピールポイントになる。
また、「誰でもやろうと思えばできるけれどもやらないこと」を敢えてやることも、何者かになるには手っ取り早い手法だ。会社を辞めて世界一周とか、初心者だけど●●に挑戦といった類のものである。これは後に引けなくなって、危険な行為の結果、自らの命を失う人もいる。何者かになるのも命がけだ。
インターネットの世界の歴史は浅く流れは速い。何者かにならなくても、私達の存在が過去からの誰かの行いの結果であるように、私達の存在は嫌でも未来に繋がっている。と思える映画を今年見た。
映画『盆唄』予告編
100年以上前に福島からハワイに移住した人達の子孫が、現在もハワイで福島の「盆唄」での盆踊りを続けている。震災後、散り散りになった福島県双葉町の人達が、地元の「盆唄」の存続の未来をハワイの人達に託すというドキュメンタリー映画である。ハワイと福島の繋がりを探る過程で、福島の「盆唄」を守っていた人達も、実は稲作指導のために富山からやって来た人達の子孫であることが分かる。
ハワイ移民の人達が苦労して開拓したサトウキビ畑は、今はもうない(2016年に最後のサトウキビ工場が閉鎖され、ハワイの砂糖産業は幕を閉じた)。だからといって、サトウキビ畑を苦労して開拓した人の行為が無駄であったとは言えない。
インターネットで見る世界は近視眼的になりがちだが、それに捉わられず、もっと重層的で広いスケールで物事を捉えたいものである。
(中野)
■台湾の感想
プライベートで台湾に行ってきました。
中華圏は初めてだったのですが、なんというかその文化に色々と衝撃を受けました。
中でも特徴的だったのは龍山寺というお寺で、
ここには仏教、道教、儒教の神さま仏さまがエイヤっと祀られている上に、歴史上の人物なんかも祀られていて、
言わば神仏のアベンジャーズ状態。これでもか!と言わんばかりのぐいぐい来る迫力を感じました。
そんな足し算的な発想を旅行中は随所で感じ、これが中華圏かーと圧倒されたものです。
■天神祭りの仕掛け花火
いきなり話は変わり、先日の天神祭に行ってきました。
ありがたいことに花火大会の企業協賛席のチケットを頂き、
聞けば、船の上で花火を観覧でき、更には豪華なお弁当と冷えた缶ビールまで振舞われるというステキなチケット。
行くしかありません。
企業協賛の花火は通常のものと異なり仕掛け花火となっています。
司会の方が協賛企業を紹介し、その企業の花火が1分程度あがる。それを30社くらいでしょうか、企業分繰り返すという進行です。
隣では通常の花火がひっきりなしに打ち上げられているので、そっちを見ても良し、仕掛け花火が始まればそちらに目を移すといった感じです。
仕掛け花火はこんな感じであがります。
通常の花火と比べると、仕掛け花火は派手さでは到底かないません。
ただし各企業、工夫があり「次はどんな構成でくるの?」と期待させる楽しさがあります。
それはあたかも1分間の花火演劇を見ているよう。
次の花火までには少しのインターバルがありますが、花火後にもれなく振ってくる灰や火薬の香り、
行き交う船やそこからの太鼓や笛の音、周囲の人と一緒に手打ちをする一体感など、
その場の空気を感じながら花火を待つ。
そして、そんなインターバルがあるからこそ逆に1回1回に集中していることに気づきます。
派手ではないものの、思わず感動し拍手がでる回も少なくないのは、
集中して余すことなく花火を鑑賞している環境も影響していると思います。
■引き算するから見えてくること
夜空を埋め尽くす花火の圧倒的な迫力は魅力です。
これでもか!と打ちあがるダイナミックな演出、今までの私の花火の楽しみ方はこちらでした。
でも、引き算して一つの要素に絞るからこそ、かえって見えてくるものがあります。
今回の天神祭りの花火が教えてくれたのは後者の楽しみ方でした。
どちらがいいという話ではないですが、一輪挿しの朝顔で美しさを示した千利休を例に出すまでもなく、
引き算発想は日本人のメンタリティがマッチする方向性だと思います。
余計なモノを取り除いた結果残るシンプルな本質、そんな視点を仕事にも活かしたいと思う次第です。
…と言いつつ、つい先日、淀川花火大会のど派手なクライマックスに歓声を上げてきたところです。
どちらがいいという話ではないですね(笑)
(安部)