MRidea vérité

お問い合わせ

スタッフブログ

スタッフ紹介を見る

大阪のマーケティングリサーチの専門機関、市場調査社のスタッフブログです。
日常生活でスタッフが感じたことや、弊社のサービスの紹介をしていきます。

【五感】(石倉)2023年10月31日 火曜日

「五感」というコトバは、頻繁ではないものの、皆さんそれなりに使っていませんか。
かくいう私も、56年の人生で100回くらいは使ってると思います、いや、もっとか?

「五感」という、何気なく使っていて、何気なく分かっているつもりでいたコトバの意味をこの度、改めて辞書で引いてみました。

①視・聴・嗅・味・触の五つの感覚。
②感覚の総称。

あら!?
①の意しか知らなかった・・・。

あくまで、「視・聴・嗅・味・触」の五つの感覚にまつわる時にしか、このコトバを使ってはいけないと思い込んでた。
しかし、②の意があるのであれば、五つの感覚以外においても、「五感」を使ってよいことになる。

そうなのね。
実は、①の意だけと思い込んでいたので、今まで自主規制して「五感」というコトバで表現してこなかった思い出があるのです。
ただ、「広義の五感」であれば問題なさそうなので、今日はその思い出話をしてみたいと思います。
また、いつものように無駄に長いので、お忙しい方は読み飛ばしてくださいませ。

※ネタバレ注意※
今後、ロケットの打ち上げを見学予定の方はネタバレの懸念がありますので、このブログは読み飛ばしてください。


さて、先日、あるクライアントさんの案件で、弊社代表の立田と二人で、鹿児島空港に降り立ちました。
空港を出てふと見渡すと、懐かしい建物が!

「鹿児島空港ホテル」

「うわー、何年振りやろ?風輝(ふうき、うちの息子です)が小1やったから16年前か・・・」


2007年4月。

福岡赴任3年目を迎えた2007年4月、ふうきは小学生になりました。
今でこそ180㎝を越えて、偉大(?)なる父を見下ろすようになりましたが、
この頃のふうきは背も低く、まだまだあどけなさを残す幼な子でした。

彼が小学校初めての「夏休み」に入ろうとしていた7月頃、あるニュースに目がとまりました。

【国産H‐ⅡAロケット「かぐや」、種子島宇宙センターから8月16日打ち上げ決定。初の打ち上げ民間移管】

要は、これまでJAXAという国家機関が担っていたロケット事業について、製造だけでなく打ち上げまでをも民間に移管する初のプロジェクトとのことでした。
ちなみに、月を目指すので「かぐや」に命名されたらしいです。

打ち上げの民間移管がどれほど凄いことなのか今だに理解できていませんが、当時の私は単純に、「ロケットの打ち上げ、リアルで見てみたい!今なら種子島近いし」と、短絡的に思いました。

なお、当時のふうきは、トミカのミニカーに夢中で、テールランプとかほんの一部を見せただけで「セリカXX」とかって答えられるトミカオタクの乗り物好きに育っていました。
「どうせなら、乗り物好きのふうきにも見せてあげたい!」
と、さらに短絡的に思いました。
しかも、おあつらえむきに夏休みやん。

奥さんも夏休みの思い出にええんちゃうと快諾。本人ももちろん大喜び!
「ロケット見学男旅」決定です!


当時、福岡空港から種子島空港へは直行便が無く、福岡空港から鹿児島空港でトランジットしてエアコミュータに乗り換えて、種子島空港へ向かう必要がありました。

また、打ち上げ自体は8月16日なのですが、打ち上げ時間にちょうどよい乗継便が無かったので、15日のうちに鹿児島に入り、空港周辺で1泊して、翌朝一番の種子島行きに乗ることにしました。
察しの良い方ならお気づきかと思いますが、その際、私たちが宿泊したのが冒頭にお話しした「鹿児島空港ホテル」だったということです。

さて奥さんの快諾も得られたし、エアーでも押さえようかと予約サイトにアクセスしましたが、かろうじて2席確保できた感じでした。残席はほんの僅か。
なんでこんなローカル線が混んでんの?と最初は謎でしたが、すぐに解けました。

初の民間打ち上げと言うことで、打ち上げ担当の三菱重工業の関係者、JAXA職員、国交省・文科省など関係省庁のキャリア、さらに我々のような見物客、世界中からフリークが集まります。

元々席数の少ないローカル線の椅子取りゲームは過酷と言うことですね。

ま、打ち上げ決定の報道を見て早めに動いたので何とか確保できたと安堵。
あとは男旅の出発当日を待つばかり。


安堵したのも束の間、その後、本当に苦労しました。

紙面の関係(ギネスの反省?)で詳細は省略しますが、ロケット打ち上げって、
予定がまあコロコロ変わる変わる。
やれ、整備不良が見つかったので打ち上げ延期とか、やれ天候不良でまたまた延期とか。

結局、4回ほど、延期が繰り返されました。
そのたびに、数少ない椅子取りゲームを勝ち抜かねばなりません。

1回目の変更、2回目の変更は確保できたのですが、3回目の変更の際に遂に、
席を確保できない事態に陥り、男旅を断念せざるを得ない状況に追い込まれました。

ふうきの楽しみにしていた顔を思い出すと、なんともやり切れず、「神様なんていないのね!」とかって腐っていました。

しかし、なんと我々が取れなかった日程も「整備不良のためさらに9月14日に延期」との報道が出て、即座にリスケ日程で今度こそ座席を押さえることが出来ました。
「神様はいるのね!」と改心した次第です。

しかし、ここで「ちょっと待てよ」と。
9月14日?
おいおい、夏休み終わっとるやん!

どきどきしながら、9月14日は?とカレンダーをめくると、なんと金曜日の平日。
前泊と言うことは、木曜から出発。
うーん、木曜の鹿児島入りまでは学校終わってでも間に合うけど、さすがに打ち上げ当日の金曜は学校を休ませねばならない。
いまでこそ、愛知県が始めた「ラーケーション」みたいに「学習(ラーニング)と休暇(バケーション)」で、学校を平日休んでも問題ない時代になりましたが、当時は、「社会見学」であっても、学校を休ませるなんてけしからん、といった風潮が残るころです。

どうしよっかなあ?学校はどうでもいいけど、最大の難関である奥さんになんて言おうかなあ?
最悪俺だけでも行きたいけど、一度は息子も連れて行こうって決まってた以上、後ろ髪ひかれるなあ、などと悶々としていました。

悩んだ挙句、最後は、あるクレジットカード会社の「お金で買えない価値がある」という当時のCMコピーに背中を押してもらい、奥さんに相談してみました。

すると、奥さん「ええんちゃう?連れてってやったら♪」
あら?拍子抜け。ま、案ずるより産むが易しってことですかね。
ま、これで晴れて、「ロケット見学男旅」が正真正銘、確定しました!

その後、リスケに見舞われることもなく、いよいよ我々はロケット見学男旅に出発したのでした。


種子島宇宙センターは、総面積約970万平方メートルにもおよぶ日本最大のロケット発射場です。

ロケットの打上げ当日は、種子島宇宙センター全域と、打ち上げ地点である射点を中心とした半径3km以内は立ち入り禁止となります。
これは、周辺の安全性確保と、ロケット技術を他国の軍事転用から守る隔離措置らしいです。

我々は、いくつかある見学スポットの中でも、射点から6㎞離れた一番ポピュラーとされる「長谷展望公園」に陣取りました。

現場にはずいぶん早めに着いたのですが、すでに多くの人が集まっていました。
半分くらいが欧米人です。この人たちは、世界中の打ち上げを見て回っていて、種子島にも1か月単位で滞在し、ゆったり構えて打ち上げを楽しみながら待ち続けているフリークらしいです。
分刻みで旅するあくせくした日本人にはない悠久的な思考・行動がうらやましく感じられました。

打ち上げ180秒前からJAXAによるカウントダウンが始まります。
ちょっとしたDJ風で、ギャラリーたちのボルテージを上げていきます。

そのカウントダウンがいよいよ10秒前を知らせます。
さすがに小1でも理解できるらしく、ふうきも緊張しながら紅潮して直立したままその時を待ちます。

サンッ!
ニーッ!
イチッ!


ゼロ~~~!!!

すると、射点からすごい白煙。何かが爆発したような、モクモクと白煙が膨らんでいきます。
も、もしや打ち上げ失敗?ロケットが地上で爆発?

すると、その白煙の中から、何かが、ひょろひょろひょろ~って上にあがっていきます・・・
サイズ感で言うとマッチ棒のような、あるいはロケット鉛筆の1段目みたいなものが、ひょろひょろひょろ~って上に上がっていきます。

何の演出もなく、感慨もなく、ただただ、ひょろひょろひょろ~って上がっていくだけ・・・
えっ、たったこれだけ?あれれ?

ここまであんだけ苦労して、なんども予約取り直して?
一度はあきらめたのに、神のご加護で取り直せたのに?
前泊までして?
ラーケーションなんて無いころに、学校まで休ませて?

こんなんだったら、おうちでビールでも飲みながらNHKで打ち上げの実況見てた方が良かった。
苦労もせずに、よっぽど大きくアップで見れたのに。

ふうきも、つまんなさそう。
なにしてんねやろ・・・
苦労報われず・・・。
失望、脱力、後悔、喪失・・・、色々な感情がこみあげてきていました。

しかし、その17秒後、


「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお~」

って今まで聞いたことが無いような轟音が、地鳴りのように鳴り響く。
とっさに身をすくめ固まるふうき。私も何が起きたかさっぱり分からない。

数秒後に、「おー、これは雷と同じではないか!」と気付きました。
子供のころ、雷が「ぴかっ」と光ってから、音がするまでの秒数を数えませんでしたか?
1秒後に音を聞いたら340メートル先に落ちた。10秒後なら3.4㎞先だなみたいな。

あれと同じです。
秒速340メートルの「音波」が、17秒かけて6㎞離れた我々に轟音を運んできたのでした。

そうそう、「光速」「音速」にはギャップがあるのよね。久しぶりに思い出したわ。
音は遅れてくるものよね。
頭では分かっていたけど、現実社会で6㎞先の「音」が届くなんてことめったにないから、すっかり忘れてたわ。

いやあ、これで来た甲斐あったなと大満足!

その後、ほけーっと数分間、空に舞い上がる、かぐやを眺めながら、やはり現場って大事だな。
光(視覚)と、音(聴覚)のスピードの違いを五感で感じとる。
素晴らしい経験だ!これこそ生きた教育だ!私はなんてすばらしい贈り物を息子にしたのか!

そんな感慨にふけって打ち上げから4分くらい経過したころ、そろそろ十分満足したし、ふうきも飽きてきた様子なので、そろそろ帰ろっかと持ち掛けようとした、その瞬間でした。


「ばさばさばさばさばさばさばさばさばさばさばさばさばさばさばさばさばさばさばさばさばさ~」

立っていられない衝撃に全身が襲われます。
先ほどの轟音と比べ物にならないほどに、カラダが持っていかれるようなものすごい「圧」
実際、ふうきは身体が後ろずさりしています。

またまた、何が起きたのか分からない。
ケンシロウが、攻撃を受けて仁王立ちで必死でこらえながら立ち尽くしている感じ

しばらくして、「圧」の正体が、やっと分かりました。
なんと、ロケットを打ち上げる際に発生する「爆風」だったのでした。

「風速」は、光速音速と比べ圧倒的に遅いので、4分のタイムラグを開けて、6㎞離れた我々に届いたということでした。
それにしても、ものすごい暴風。今まで経験したどの台風よりもすごい。

そして、このタイムラグが意表を突きます。まったく無防備でした。


時速

光速:時速10億7900万km(宇宙を移動する物質の中で最も速い)
音速:時速1225km(旅客機が時速900㎞くらい)
風速:非常に強い風でも時速90km(小学生のピッチャーの平均くらい)

6㎞先に到達する時間

:0.00002秒後
:17.633秒後
:240秒後

知識としては理解しているが、現場にいないと実感できないコトもあるんだな。
テレビやネットを使えば、なんでも分かったような気でいるけど、実際のゲンバにいるからこそ感じられるものってあるな、これは家では経験できない、まさに
「お金で買えない価値」だなとつくづく思いました。(マスターカードさん、さすが!)

「目」で見て、「耳」で聞いて、「全身」で風を感じて!

【五感】と呼ぶには、「風を感じて」が邪魔なので、これまで自主規制してきましたが、今日辞書を引いて「②感覚の総称」としても使ってよいと分かったので、これからは胸を張って言える。

ライブはいい!リアルはいい!バーチャルにはない【五感】で感じ取れる!

バーチャルやAIなんかがもてはやされて、それこそが未来のように語られるが、
【五感】で感じる、【五感】を磨く、これこそが贅沢だと感じた打ち上げ見学体験でした。

これからAIが目覚ましく発達し、その恩恵を喜んで享受したいと思っていますが、一方で、このような【五感】も大切に、【生きて】いきたいなと思いました。

いつもながら、長々とした駄文にお付き合いくださり、ありがとうございました!

石倉


後記)
ちなみに、このブログを書き終わって最後に読み返していたんですが、風圧って、「触覚」なので、元々、「①視・聴・嗅・味・触の五つの感覚」の意にばっちり含まれていますね。
自主規制するまでもなく、【五感】ってコトバを使っててもよかったんだなと、今さら気付きました・・・。
このブログの背骨を根底から揺るがす事態なのですが、今さら書き直す元気はないので、このまま終わりにしたいと思います。
雑味な読後感を与えてしまい失礼しました・・・。

とある夏の思い出【完結編】(石倉)2023年1月27日 金曜日

唐突ですが、うちの息子は、「ギネスレコード・ホルダー」です。

出典:https://www.guinnessworldrecords.jp/

 

うちの息子がギネス記録に挑戦することとなった経緯については、「とある夏の思い出【前編】」を、挑戦までの苦労話は「とある夏の思い出【中編】」をご覧いただければ幸いです。

 

今回の「とある夏の思い出【完結編】」では、いよいよ、ギネス記録への挑戦の顛末をお伝えしたいと思います。完結編までお付き合いいただきありがとうございました。
もはや、季節は、「夏」でもなんでもなく、「真冬」になっちゃったんですが・・・

 


 

挑戦の準備も1つ1つクリアし、ちゃんと整えた。
あとは天気の心配だけだった私。
最大のハードルから目を背けていた私・・・。

 

【最大のハードル】

 

この挑戦を決めたとき、「二人三脚くらい、50メートルはおろか、体力の続く限りどこまでも歩ける」と思って楽勝気分に浸っていたのは、大人の発想なんですよね。

当時40歳の私は、その5年前の35歳のときも、きっと5年後の45歳になっても、体格や体力なんてほとんど変わらないと思っていましたし、事実あながち外れてもいないと思います。
でも、小学生にとっての5年間ってすんごい変わるんですよね。
今にして思えば当たり前なんですけど、当時は気付きませんでした。
1年生から6年生って、ものすごい身長差がある。
組む肩の高さが違う。足の長さも違う。体格だけでなく、元気さも、集中力も、周りとの調和力も、先を読む知力も。

 

そもそも低学年の子どもは、2人での二人三脚ならそれなりに出来る。だけど、距離が伸びてくると少しずつリズムが崩れ始め、そのズレが徐々に拡大し、ある時に沸点を越えてバランスを崩し、途中でこける。
要は長距離の二人三脚が出来ない。
まして、3人での二人三脚が出来ない。真ん中の子は、右の子と歩調を合わせると、左の子がおろそかになる。左右を同時に意識するのは至難の業。
そこで、低学年をカバーするために高学年と交互に組ませてみる。すると、今度は体格が違い過ぎてそもそも肩が組めない。歩幅が違い過ぎる。

本番一か月前くらいから、5人程度の小ユニットで少しずつ個別に練習をはじめ、徐々に10~20人くらいの中ユニットに膨らませたりしていきましたが、何回練習しても一向にできない。
高学年だけなら10人でも平気で歩いてくれるのですが、低学年が混ざると途端にできない。
参加する全員の身長を考慮し、いろいろなユニットで組んでみましたが、全然できない。

10人も居れば、50メートル行くまでの間に、どこかで崩れる。
50メートルはおろか、5メートルも行ったら崩れる。

最初のうちは失敗しても、慰めや笑い、応援が起きる。
でも、炎天下の中、失敗が続くと、崩れた子どもへの非難が始まる、口論からケンカに発展する。
怒って離脱する子、泣いて離脱する子、殺伐とした雰囲気に立ちすくむ子。阿鼻叫喚!!

まったく歩ききれないまま、挑戦までのタイムリミットは迫るばかり。
おいおい、福岡のすべてのテレビ局呼んじゃったよ、まして、霞が関から現役大臣まで呼んじゃったよ。
出川さんじゃないけど、「やばいよ、やばいよ」を地でいってましたね。

 


 

そんな悲惨な失敗を繰り返す中、最大の問題は、「足を出すタイミングが一致しない」ことにあると気付きました。
足を出すタイミングが隊列の中で一致しないから、ばらばらになって噛み合わない。
んで、こける。

また、先行するユニットや、後れを取るユニットが現れてしまい、横一線のはずが大きく波打ってしまう。
そのうち、先行ユニットと後れを取るユニットのハザマに居る子どもたちが足をすくわれる。
んで、こける。

ここを打開しないと、いつまでやっても失敗の繰り返し。

んじゃ、足を出すタイミングを統一しよう!ということで、小学校にあった「大太鼓」を担ぎ出してきて、「ドン!」「ドン!」と鳴らしてみます。たしかに、「足を出すタイミング」は揃えることが出来てきました。

おー、いけるかも!
と思ったのも束の間。

低学年の子どもは「どちらの足を出すのか?」が途中でこんがらがってくる。
んで、やっぱりこける。

んじゃ、「右」「左」を知らせてあげようと思う訳ですが、左右交互で並んだ子どもたちにとって、「右足」を出さねばならない子もいれば、「左足」を出さねばならない子もいる。
つまり、「右」「左」は使えない。

んじゃ、どうするか?
そこで、誰かが思いついてくれたのですが、子どもたちの足を結ぶひもとして、紅白の2種類のひもを準備しました。それを左右交互に結んでいったのです。
そうすると、「赤」といえば、偶数列の子どもは「右足」を、奇数列の子どもは「左足」を出すこととなり、二人三脚が成立します。

ついに光明が差してきました!

足を出すタイミングは「大太鼓」が統一してくれる。
その大太鼓に合わせて、大人たちが「赤っ!」、「白っ!」と声を掛ける。
これで、右なら右、左なら左、然るべき足を、124人が同じタイミングで出すことが出来る。

また、隊列の波打ち防止の対策として、子ども10人ごとにおやじを一人配置して、隊列を整える。
先行しかけているユニットには抑制を、後れを取りかけているユニットには巻きを。

完璧すぎる!

今度こそ何メートルでも歩ける!

そして、いよいよキャンプ初日の土曜日。
つまりギネス挑戦本番の前日に、初めて124人全員集合しての大ユニットでの練習をやりました。

結果は・・・?

 


 

・・・。

・・・こける。

・・・・・・やっぱり、こける。

・・・・・・・・・何度やっても、こける。

なぜ?

???

指導しているおやじたちに焦りと疲労が漂う。
なにより、炎天下の中、なんどやってもできない子どもたちの徒労と疲労がハンパない。

これ以上、練習で子どもたちを疲弊させるわけにもいかず、やむなく練習は中断しました。
結局、練習で1度も成功しないまま翌日の本番を迎えることに。

「やばいよ、やばいよ~~」

 


 

その後も、初日のアクティビティが次々と進んでいきます。
晩御飯を作って、キャンプファイヤーして、やっと子どもたちにも笑顔が戻ってきました。

夜も更けてきたタイミングで、現場を副委員長のお2人にお任せして、ひとり学校を抜け出しました。
学校の近くにある、普段、おやじたちが行きつけのショットバー。

オーダーは、当然、「ギネスビール」

 


出典:https://www.google.com/search?q=%E3%82%AE%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%AB&hl=ja&sxsrf=AJOqlzV_vYAPMVFOUB-lpHCxC1JjVZUiCw:1673149615694&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=2ahUKEwikj_-DiLf8AhVnmlYBHZz_DLEQ_AUoAXoECAEQAw&biw=1233&bih=657&dpr=2

たいして美味くもない「ギネスビール」を3本ほど立て続けに飲みほしながら、「ギネス社のPRだけでなく、直接的な売り上げにも貢献したんだから、なんとかして!」と願っていました。
※ギネス社関係者の方が読まれていたら、この場を借りてお詫びします。練習がうまくいっていない腹いせですのでご勘弁を・・・。

 


 

なんだかんだで、いよいよ、運命の日、本番当日の朝を迎えました。

お天気は、8月の夏本番、「ど晴天!」
唯一の願いだったはずの「晴天」も、もはや、どうでもよいくらい、心がさざみだっています。

「やばいよ、やばいよ~~」

ところで、ギネス社から示されたレギュレーションにこんな一文もありました。

【挑戦は一回だけ】

当初は、気にしていませんでしたが、これだけ練習がうまくいっていないと、重くのしかかる十字架、いや呪いのメッセージのようになってきていました。

 


 

朝ごはんをみんなで作って食べて、校庭に張ったテントを撤収して、粛々と午前の行事が進行していきます。

さて、いよいよ、本番。
まずは、隣の中学校まで引率、ギネス戦士たちが整列して歩んでいきます。
そして、いよいよ中学校に到着。
小学校よりもはるかに大きい校庭に、子どもが124人整列しました。
父兄もその倍くらい集まっています。
小学校の教職員だけでなく、中学校の教員も結構集まってくれていました。
証人役の、隣の小学校の校長やおやじの会代表も。

しかも、福岡の全テレビ局、全国紙の新聞社、空にはヘリも2機、現役大臣まで。

役者は揃いました。

練習で一度も成功していない。
挑戦は一回だけ。

すんごいプレッシャー。
たぶん、人生最大のピンチ。
コンセプトをぶち上げたときは、成功することしかアタマに無かったので、失敗した時のこと考えてなかった。
ものすごい後悔
逃げ出したくてしょうがなかった。

「やばいよ、やばいよ~~」

 


 

まずは、ギネス挑戦の火ぶたを切るおやじの会代表のあいさつ。

続いて、来賓を代表して、大臣にスピーチしてもらいます。
力強いコメント、満面の笑み。
彼にとっては、選挙権の無い子どもたちは眼中になく、周りにいる父兄や教職員たちが票田にしか見えていないんだろうな、などとやさぐれて話を聞いていました。

そして、実行委員長である私もスピーチ。
「1人1人じゃ世界記録を出すのは大変だけど、みんなで力を合わせれば、世界記録も夢じゃない!」
昨日までの惨憺たる練習を目の当たりにしながらですので、夢は夢かも、とあきらめムードでした。

そして、いよいよ、本番スタートです。

なにしろ、挑戦は一回だけですので、最後にもう一度全体練習をしようと言うことになりました。

結果は・・・?

 


 

相変わらず、途中でこける。
2~3回やりましたが、やっぱりこける。
我々は、やはりか・・・、というリアクションでしたが、本番だけ駆け付け練習を初めて観た父兄や教職員、来賓、そして何より報道機関がざわつき始めます。

そりゃ、そうよね。

撮影クルー出して、夕方のニュースの枠取りもして、まして「ヘリ」まで出しちゃって。
成功こそすればニュースバリューはあるけど、失敗したら、なんの価値もないロケ。

「やばいよ、やばいよ~~」

 


 

でも、ここまで来たら行くしかない。

スタートラインに並ぶ子どもたち、
ゴールラインにひとり立ち尽くす私。

 

出典:https: //blog.goo.ne.jp/idea-p

 

意を決し、

「位置について」

「よーい」

「どんっ!」

という私の掛け声に合わせて、大太鼓が鳴ります。同時に、おやじたちから「赤っ!」の掛け声。おやじに呼応するように子どもたちの元気な「赤っ!」の声。

ここで異変が。
実は、この挑戦が終わるまでの間、私の耳に入ってきた「音声」はこれが最後となります。
私の聴力は完全に消失していました。

・・・・・・・・・・。

静寂。何も聞こえない。
まったくの無音の中、子ども達が一歩一歩、私に向かって歩んできます。

メートルラインを越えました。
練習での限界ラインをいともたやすく越えてきました。
まったくの無音の中、土ぼこりを立てながら歩みは続きます。

10メートルライン通過。

15メートルライン通過。

おいおい、すごいやんみんな!

ここまで来たら、私たちに出来ることなど何もありません。祈ることくらいしか。

25メートルラインを通過。

このあたりで、隊列が大きく波打ち始めます。
隊列を整えるために10人おきに配置されていたおやじたちも、極度の興奮状態で周りが見えなくなっています。

「隊列整えて!」「そこの集団、先行しすぎっ」「歩みを抑えて~!」
大声で叫びましたが、自分の声さえ聞こえない。みんなに届いているのかも分からない。

先行集団が、35メートルラインを越えた頃、しんがりは30メートルラインにさえ到達していません。
それでも、子どもたちの歩みは力強く、一歩一歩私に向かってきます。

遠巻きに見ていた父兄や教職員たちも、立ち上がり、フィールドに集まってきて、声の限りに応援しています。
大声援は聞こえませんが、身振り手振りの必死さから伝わってきます。

「いけるよ、いけるよ~~」

そして、40メートル、45メートル。
誰もこけません。

祈りはピークに達します。

線香花火の最後の火球である「散り菊」を必死に耐えしのぎ、堪えている感覚に似たもどかしさ。
たのむ、耐えてくれ~。

ついに、先行集団が50メートルラインを越えました!
子どもたちが歓喜しています。担当のおやじも万歳しています。

慌てて、
「まだ、全員がゴールしていない」「そのまま歩いて」「そのまま~」「止まるな~!!」
必死で叫びます。

そして、いよいよ最後尾の子どもがゴールラインを越えました!
大太鼓が連打されています。乱れ打ちです。
大人も子どもも抱き合い、飛び跳ね、大はしゃぎです。
ここで、音声が戻ってきました。

 

出典:https: //blog.goo.ne.jp/idea-p

 


 

なんと言うことでしょう。

練習では5メートルすら歩けなかった子ども達が、本番で成功させてくれました。
1回しか挑戦できない本番で、今まで見せてこなかった力を覚醒してくれました。

楽勝な挑戦だったはずが、いつしか、無謀な挑戦に。
しかし、子ども達は本番でいとも容易くやってのけました。
本当に、子どもたちの集中力ってすごい。なにより潜在能力ってすごい!
オトナの判断で諦めるのではなく、コドモの可能性を信じるべきだと教わった夏でした。

ちなみに、その日の夕方、福岡の各テレビ局で取り上げられていたニュースを、ももち浜の海沿いのカフェで「ワンセグ」通じて視聴し、みんなで祝杯をあげたのが、よい思い出です。

 

全国紙の「全国版」にも掲載頂きました。

出典:asahi.com(朝日新聞社):124人125脚、世界記録だ! 福岡の小学生 – 小中学校ニュース – 教育

 

小学校の掲示板にも掲出いただきました。

出典:まつばの会 ブログ (jugem.jp)

 


 

それから10年くらい経ったころ。
大阪で高校生になっていた息子に、「なあ、ギネス覚えてる?」と聞くと、「あんま覚えてへん、とにかく暑かった」とつれない返事。
子どもが成長する過程において経験する様々な事柄からすると、そんなもんかもな、とさびしく思いつつ、私は毎年、夏の暑い日差しに出逢うたびに、「あの夏」を思い出しています。

「とある夏の思い出」、全編終了

※ちなみに、今回のスタッフブログは、「最大文字数」の世界記録を目指していたわけではありませんが、脱線しまくってしまい、飽き飽きするほどの長文になってしまいました。
こんな駄文に最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

皆さんのギネス記録挑戦がうまくいきますように♪

<完結編終了>

石倉

スタッフ

バックナンバー

ページ上部へ

〒550-0004
大阪市西区靱本町1丁目7番3号
PAX本町ビル
インターネットからのお問い合わせはこちら インターネットからのお問い合わせはこちら 06-6449-1595(代)06-6449-1595(代)