前回のブログ(2011年4月)では、震災をきっかけに“つながり消費が増えるのでは!?”みたいなことを書かせてもらいました。家族、友人、仕事仲間など人との“つながり”を確認・実感するための消費活動ですね。
私自身、3.11以降、震災の影響なのか、はたまた年齢のせいなのかは非常に微妙ですが、大学時代の学部の友達と京橋でプチ同窓会をしたり、大学の部活の同窓会に新幹線で広島まで出向き飲むは食べるは泊まるは。。。家族とのプチ遠足気分のお出かけも増え、奥様と二人でケーキを食べにいったりと、“つながり消費額”は確実に増えました。
皆さんはいかがでしょうか?
今回は、“つながり”を実感するコミュニケーションについて感じていることを書かせていただきます。
■固定電話
20・30代の人には信じられないかもしれませんが、私が幼稚園に通うか通わないかの時代(今から四十数年前)、家には電話がありませんでした。近所で1軒だけ持っていて、緊急の連絡が必要なときには、その電話をお借りしていたのをかすかに記憶しています。
小学校に入るころから、固定電話は各家庭に普及していき、ほぼどの家庭にも固定電話がつながっている状態となっていきました。
当時、電話がかかってくると「誰からだろう!誰が電話してきてくれたんだろう!」とワクワクしていたものです。
高校・大学時代には、彼女(現妻)からの電話を待ち焦がれていた経験もしました。
大原麗子さんのサントリーレッドのCM「少し愛して、ながく愛して。」(電話編)、まさしくあの世界ですね。
この時代、固定電話は“つながり”を保つ大切な
コミュニケーションツールだったと思います。
■携帯電話
私が社会人になって10年弱、急速な勢いでみんなが携帯電話を持つようになりました。「いつでも、どこでも、だれとでも」つながることが出来る画期的なコミュニケーションツールの登場です。
携帯電話を買った日、用事もないのにわざわざ散歩に出かけた上で知り合いに電話したのを記憶しています。あの高揚感は今でも忘れられません。
■メール、そしてソーシャルメディアへ
その後、PCでも携帯電話でも「メール」でのコミュニケーションが我々の生活に浸透。そして現在はfacebookやtwitterといったソーシャルメディアも。
■コミュニケーションのカタチの変化
メールやソーシャルメディアは、自分が発信したいタイミングで発信。
受け手もまた同様に、自分が見たい・見れる時に見て、返信できる・反応したいタイミングで発信。非常に心地よい“非同期のコミュニケーション”ができます。
特にfacebookなどでは、ブログなどと違いかしこまる必要もなく、気軽に発信したいときに発信して、また見る側もいつ見てもいいし、見なくてもいい。「コメント」を書き込んでやや深くつながってもいいし、「いいね!」ボタンで緩くつながってもいい。
誰に強制されることもなく、世界中どこにいても、いつもそばにいるような“緩やかな心のつながり”を保ち続ける。
これがあまりにも浸透すると、心理的には、固定電話や携帯電話が非常に“威圧的なツールである”という方向にポジションがシフトしてしまうように思います。ビジネス上の電話は別にして。
つまり、固定電話や携帯電話の呼び出し音は…
「私はあなたに用事があるから、あなたはすべてのことを中断して、今私がかけているこの電話に出て私と向き合いなさい」という意思表示、と。
最近では、休みの日に携帯電話(スマホ)に電話がかかってくると(大げさに言うと…)、
「えっ、携帯電話(スマホ)に電話がかかってきた! なんでぇ~」
という感覚にまでなってしまっている自分がいます。そもそも“電話”なんですけど。。。
新しいコミュニケーションツールが出てきて、初めて気付くこの感覚。
環境が変われば、生活者の感覚は知らず知らずの間に変わっていくのですね。
これからは、“非同期のコミュニケーション”が、人々の“つながり”を支える時代なのでしょう。
そして、非同期のコミュニケーションツールもまた、「メール」から「ソーシャルメディア」へ幅が増えたように、今後も変化し続けるのでしょうか。
(立田)