大阪のマーケティングリサーチの専門機関、市場調査社のスタッフブログです。
日常生活でスタッフが感じたことや、弊社のサービスの紹介をしていきます。
去る4月1日、新元号の発表がありました。私自身は普段から日付を記入する際にも西暦で書くタイプであり、元号が変わっても自分の生活がドラスティックに変わることはないはずなのですが(もちろん日本という国、集合体の精神性には大きな変化であります)、なぜか発表予定の11時半が近づくにつれ、そわそわそしてワクワクとした気分になり。
そして11時半になると、社内のスタッフが全員、TVのある会議室に集まって、発表を見守る“イベント”と化していました。
全員が仕事の手を止めて一堂に会するこの雰囲気、「以前にもあったなあ、いつやったっけ?ああ2002年の日韓ワールドカップの日本戦だ」と思い返すくらい、全員がTVにくぎ付けになって、高揚しながら事の様子を見守るというのはなかなかに稀有な体験ではあります。
翌日、クライアント先での打ち合わせ時に、弊社で元号発表のニュースを一同で見守ったことを話して、「〇〇さんのところではどうでした?」と聞くと、「ああ、ぼくらはそれぞれ自分の机のPCやスマホでストリーミングニュースを見ていました。そもそもオフィスにテレビないし」と。
その会社はベンチャー的な起業で若いスタッフが多い会社なので「さもありなん」ではありますが、今やオフィスにTVがないことも含め、その温度感の差に「昭和」と「平成」との隔世を感じた次第です。
出展元:https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/04/post-11928.php
■平成の30年はデジタル化の30年
平成は30年前にスタートしましたが、同じように30年前に産声を上げたのが「ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)」であることを最近知りました。インターネットによる情報受発信の発展は、日本人にとっては平成の歩みと一緒であり、平成生まれはまさにデジタルネイティブそのものなんですね。
すなわち平成の30年間は、世の中のモノ・情報の流通やコミュニケーションが一気にデジタル化へと加速した30年でもあります。
ということはよく言われている「デジタル思考/アナログ思考」という枠組みも、たかだかここ10数年の概念だということになるのでしょうか。もちろんインターネット以前にも、デジタル的概念はありましたが、一般的に浸透しやすくなったのは、この時期の世間全般のデジタル傾斜と被るのだと思われます。
■デジタル思考とアナログ思考
デジタル思考とは、ご存知のように「白か黒か」をジャッジする、ベストなものでなければ、それはワーストである、という判断機軸で物事を考えることです。
一方のアナログ思考は、白と黒との間には実は幅広いグレーのゾーンが広がっており、そのグレーゾーンをいかに捉えるかということです。もしかするとベストな選択はできないかもしれない、でも「モアベター」な方向性を探索し続ける意思と行動、と言い換えることもできるかと思います。
と書くと「デジタル思考ではなく、アナログ思考であるべし」とすぐに考えがちですが、まさにその単純な帰結こそが「デジタル思考」なわけで。デジタル思考が求められるシーンというのもあります。例えば災害時のとっさの判断、クレームへの対応など素早い判断・ジャッジが求められる場面では、悠長に思考を巡らせる時間はありません。国や組織のリーダーには、特にデジタル思考力が求められます。アナログ思考でより広く深く、デジタル的な判断で実行できる素養こそが、理想のリーダーなのでしょう。
平成がデジタル的なモノ・コトが一般化したように、令和の時代は、AI・IoTがより社会に浸透する時代と言えます。
そんな社会で我々リサーチャーに求められるものは、というと逆説的になりますが、より高次なアナログ思考ではないかと思います。
AI・IoT により1次的/2次的、質的/量的な有象無象の情報を集めることは容易になります。
またそれらを意味ある形にまとめ上げることも可能でしょう。そのまとめ方をインプットするのは人間の脳(アナログ)であり、まとめ上られた情報の固まりから、どんな可能性が考えられるのかに思いをはせるのも、最終的にはアナログ的思考です。
元号発表を機に、よりデジタル的なモノに囚われがちな次の時代にこそ、アナログ思考を磨いてデジタルとのうまい付き合い方を考えていきたいと再認識させられました。
(山本)
一般的に「定性調査」のメリットとして、「生声に触れられる/リアリティがある」、「ある意見・行動の前後関係が分かり、ストーリーとして理解できる」、「現場でクライアントと感覚・情報が共有できる」などがある。どれも大切な要素だと思うのだが、何といっても「定性調査」の醍醐味は「構造化」ではないかと思う。
定性調査の大御所である梅澤伸嘉氏がある著書で「発言録や発言を単に調査課題に沿って分類整理しただけでは、『分析』したとは言えません。分析とは、発言内容や表情態度などから解釈された情報(要素)を細かく切り刻んで分け、各要素間の関係を論理的に(何らかの既成概念に当てはめるのではなく)発見することです。そして、調査課題に照らし、発見した関係に基づいて情報を構造化することです」と述べている。
まさしくその通り!
「ある対象者がこう言っていました」「こういった意見が多かったです」だけで結論付けると、決まって「それは数人の意見でしょ。それで判断していいの?」と反論される。
しかし、15人前後のインタビューをすれば、実は生活者の意識の「構造」が見えてくる。経験則ではあるが、これがかなりその時点における普遍的構造を言い当てることができるのではないかと感じている。
「ある対象者がこう言っていたから」ではなく、「このマーケットにおけるユーザーの意識構造を踏まえると、こう判断できる」と言うと、説得力が高まるのである。
では、「構造化」とは何か?何をどうすれば「構造化」したといえるのだろうか?
これが実に難しい。端的に言い当てた「解」にたどり着けていないのが実情である。
そんな中ではあるが、この機会におぼろげながら感じていることをまとめてみたい。
定性調査の報告書で、対象者を何らかの基準でグループ分けして、グループごとの特性をまとめるパターンがある。人によって反応が異なる要因を言い当てて、「マーケットの構造」をみようとするもので、これも一つの「構造化」だろう。
ただ最近個人的には、人を分ける(セグメンテーションする)ところから入るのではなく、マーケット全体を俯瞰する何らかの「構造」を明らかにするのが定性調査の醍醐味ではないかと感じている。
その一つが「価値構造」であり、もう一つが「ブランド選択構造」ではないのか?というのが今の見解である。
「価値構造」とは、生活者が当該カテゴリーに求めている「欲求の構造」と捉えている。一人一人の個別の欲求を並列するのに留まらず、全員の様々な欲求の中から本質的欲求を言い当て、マーケット全体の俯瞰図を作るイメージである。
「価値構造」といえば、「機能的価値」「情緒的価値」「生活価値」「社会価値」などの階層を思うかべるが、どうもこの手法のみではなさそうである。該当するカテゴリーの種類や、そのカテゴリーの成熟度によって、様々な「切り口」が存在していそうなのである。
そのレイヤーの切り出しが非常にクリエイティブで難しい!
「ブランド選択構造」とは、一つ一つの個別のブランド評価をまとめるのに留まらず、先のマーケット全体を俯瞰する本質的「価値構造」をベースとして、各ブランドが生活者からどの価値に対応しているブランドとして認識されているか、を整理する行為である。
味噌なのが、単に思い付きの2軸を取り出してポジショニングマップを作る、ということではなく、マーケットを俯瞰する「価値構造」と紐づけてブランド認識を捉え直すという点。
定性調査の分析において、この二つの「構造」を明らかにするステップを行うか、行わないかによって、findingsの幅が大きく異なるように思う。
ただ、これが定性調査における構造化の「解」とも思えていない。今後も探求していきたいテーマである。
(立田)