大阪のマーケティングリサーチの専門機関、市場調査社のスタッフブログです。
日常生活でスタッフが感じたことや、弊社のサービスの紹介をしていきます。
長く暑い夏も終わり、やってきました「スポーツの秋」!!皆さまいかがお過ごしでしょうか。
私の場合、スポーツだとあれが好きです。そう、
なわとび!!!
いま「なんか思ってたのと違う!」と思われた方、いやいやなわとびもなかなか奥深いものですよ。あやとび、二重とび、はやぶさ……小学生の頃は色々な技に挑戦したものですが、なわとびの何がいいって、
ひとりでもめちゃ楽しい、仲間が一緒だとめちゃくちゃ楽しい!!!\(^o^)/
ところではないでしょうか。小学生の頃は昼休みにクラスの仲間と30回だったか40回だったか、目標を決めてジャンプしまくっていた思い出があります。
また、私の地元・宝塚では運動会の競技でも高校まで大なわとびがあったのですが、
仲間と一緒にトライし続けると、いつしか周りに感動が生まれる
ことがしばしばありました。跳んでいる側も、応援する側もどんどん掛け声が大きくなっていって、しまいには会場全体を巻き込んで盛り上がったあの熱い体験。そういう意味でも大なわとびは素晴らしいスポーツだと思っています。
ただ、当たり前ですがこの大なわとび、
ひとりで跳ぶよりめちゃくちゃ難しい!!!!!
のもまた一面の事実。回数を重ねるにはいくつかコツがあったはずですが、悲しいかな記憶が曖昧なので、ちょっと調べてみた結果がこちら。
1. 「縄の回し手が膝を使うこと」(「かなり体力を使う」お仕事)
2. 「チームワークと掛け声」(大事なのは「大きな声でリズム良く!」)
3. 並び順は「背が高い人が真ん中に。背が低い人が端っこに」(意外と真ん中は地面から「跳ね返ってきた縄にひっかかりやすい」ので「高く飛び続けないとだめ」)
(参考:https://newsmomonga.com/461.html)
なるほど……!
3はもう、「だからか!!」という感じですね。私は背が高い方だったので真ん中にいることが多かったのですが、まあ、よう引っかかってました。端の人の方が大変なはずなのになんで?と思っていたのですが、いま長年の謎が解けました。もし、将来タイムスリップできたら当時の自分に教えてやろうと思います。そして叶うならもう一度、みんなと一緒にジャンプしたいと思います。
ところで、この「ジャンプ」という言葉。
なわとびのような物理的なもの以外にも、目に見えないもの、例えば「思考」なんかにも「思考のジャンプ」のように使われることがありますよね。「何か課題にむけて思考を進めていった時、考え考え考え続けて、その結果、ふとした瞬間にぽんっとそれまでとは全く異なる角度からの妙案が思いつく」など、まさしく「思考がジャンプした瞬間」といえるのではないでしょうか。そしてなわとび同様、思考のジャンプも複数人で行おうとすると、ひとりで跳ぶより数段難しいように思います。
私の場合、学生時代にみんなで思考のジャンプをするような機会はあまりなく(吹奏楽部での話し合いくらい?)、会社に入ってようやくブレストやワークショップや研修でのグループワークデビューを果たしたのでだいぶ遅いですが、その難しさに悶えつつ進め方を学ばせていただく日々を送り始めております。
ただそんな中でも時々「あ、今なんかジャンプできたかも?」と思う瞬間に出会うことがありました。
そういう時、何が起こっていたのだろう?と、先の大なわとびのコツを踏まえてつらつら思い返してみるに……、
1. 「縄の回し手が膝を使うこと」(「かなり体力を使う」お仕事)
→まず縄の回し手=その時々の議題の舵取り役は、事前に議題について充分に検討している、資料を持参しているなどかなり体力=時間と労力を使っていた。
2. 「チームワークと掛け声」(大事なのは「大きな声でリズム良く!」)
→意見の食い違いから議論が迷走しそうになったタイミングで必ず「一回整理しよう」などと声がかかり、双方の意見を聞いた上で議論を重ねていた(それがのちのジャンプにつながっていた)。
3. 並び順は「背が高い人が真ん中に。背が低い人が端っこに」(意外と真ん中は地面から「跳ね返ってきた縄に引っかかりやすい」ので「高く飛び続けないとだめ」)
→それぞれの得意分野を生かして取り組んでいた。
などが考えられる気がしています。……多少のこじつけ感はお許しを( ゜3゜)。
毎回分析を重ねながら、いつかワークショップやブレストの進行役までできるようになるのが今のひそかな野望です。なぜならば。
思考についても大なわとびと同じ、
ひとりでもめちゃ楽しい、仲間と一緒だとめちゃくちゃ楽しい!!!\(^o^)/
ものだと知ってしまったから。そして、きっとその先には
仲間と一緒にトライし続けると、いつしか周りに感動が生まれる
そんな状況が待っている気がするから!
市場調査社は今年で60周年という節目の年を迎え、これまで従事してきたリサーチを軸足に、アイデア発想分野でも皆さまのお役に立てるよう進化しようとしています。
私自身も、皆さまと一緒に大縄を100回、200回と跳ばせていただけるよう脚力を鍛えていきたいと思っています。そして、「あなたと一緒に跳べてめちゃくちゃ楽しかった」そう言っていただけるように、またその結果生まれたものが世の中の感動につながるように、思考を続けていきたいと思います。
(上出)
「一つの物事でも、見る人によってその姿かたちは移ろうものである」とは、かの有名でも何でもない今適当にそれっぽく並べた言葉ですが、例えば「三つ子の魂百まで」ということわざ。
これはその子どもを見守る大人目線の格言であり、子ども本人からしてみれば幼少の頃の記憶など持ち合わせておらぬ、自分の魂はもっと別の場所で育まれたものであるからして、「盗んだバイクで走りだした十五の夜の魂百まで」を断固主張する、ということになるのかもしれません。
ですが閣下の視点で考えると「十万歳の吾輩と比べれば、三つも十五も大して変わらんよ」ということになるのでしょう。一人の子供に対する評価でも、視点によってこれだけ意見は分かれ、時にはぶつかるものです。場合によっては落とし所が見つからず、すったもんだの大騒動まで発展するなんてことは人類の歴史で繰り返されてきたことでもあります。えらいこっちゃです。
その一方、人間とは不思議なもので、考え方がまるで違っていても喜びや怒り、悲しみや感動を言葉がなくても分かち合える、そんな瞬間もありますね。例えば誰かの笑顔を見てほっこりする、同じ音楽を聴いて感動する……そう、音楽フェスです!
■JAZZフェスのnot悲劇but奇跡
昨年になりますが、宮城県は仙台市で開催されたJAZZフェスに参加してまいりました!……というと、なんだかとっても活動的なように聞こえますが、 参加できたのはすべて吹奏楽仲間のおかげでございます。ありがとうございます。
何はともあれ本番前日。あれはまだ残暑厳しい九月でしたが、唯一無二の相棒・テナーサックスを背負い、演奏でみんなを盛り上げるぞと武者震いをして仙台市に乗り込んだわけでございます。
前乗りの目的はもちろんずんだ餅と牛タン最終練習、リハーサルです。練習会場に到着し、楽器を組立ていざ音だし!そう思った時、私は重大な事実に気が付きます……「あれ、これ武者震いじゃなくね?」
背筋が寒い、頭が痛い、……武者震いの正体は、ただの体調不良だったのです。
折角JAZZフェスに参加できるのに、なんという体たらく!仲間に心配をかけ、ずんだ餅も牛タンも味わえず、寝込むことになりました。
本番当日。出番は午後7時。ゆっくり休んでなんとか回復したものの、病み上がりにはかわりなく、ちょっと楽器に息を吹き込んだだけで高校時代の耐寒マラソン大会を彷彿とさせる疲れ、とてもいつも通りの演奏ができる状態ではありません。サックスが異様に重く感じ、フルート等の軽い楽器担当の仲間がうらめしく、なんだか小雨も降ってきたし、もうこれ、今日は無理だな……そんな思いで舞台に上がりました。
一瞬で、自分がフェスを、音楽をなめていたことに気が付きました。
ステージ前には雨にも関わらず、お客さんがたくさん集まっていました。なんだこの熱気、なんだこの空間!!みんな、みんな笑っている。演奏を楽しみにしてくれている。嬉しい、嬉しい、さあ吹くぞ、伝われ、伝われ、ああ、これが「音楽」か。音を楽しむってこういうことか。
さっきまでの怠さが嘘のように、いつも通り吹く事ができました。演奏後は、仮病疑惑が浮上するほど元気になり、最寄りの駅まで走ってお土産にずんだ餅を買いました。
言葉では表すことができない人が生み出す不思議な力に助けられた、そんな経験でした。
■2年目の抱負
これを書いている今はお正月。近所の寺では鐘がゴンゴンなっていて、「タンスに」と相の手をいれたくなるのをグッと堪えている次第ですが、この1月で入社丸1年と相成りました。
来る2年目は、目の前の数値や一つの発言を「これでもか!」というほど突き詰めて考えること姿勢を大切にした上で、物事を自身の立場や考え方に捕らわれず様々な角度からより広い視点で捉え、言葉や数値では表すことが難しい人間の機微のようなものも明らかにできる、代弁できるリサーチャーになっていきたいと思う今日この頃です。精進します。引き続きご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。
写真:JAZZフェスの写真、一枚もなかったので相棒のオフショットをお届けします。
(上出)