■ 予知夢を見た!
先日、中学時代の部活仲間である友人Aから、10数年ぶりに電話がありました。久しぶりの話を咲かせる間もなく、伝えられたのが共通の知人であるBの病死でした。なんでも数年前から入退院を繰り返していたとのこと。
知人の死にもまあびっくりしたのですが、それ以上に愕然としたことがあります。
実はその連絡を受ける数日前に、めちゃくちゃリアルな夢を見たのです。なぜか中学の部活シーンで、私は友人Aなどとサッカーの練習をしており、隣のスペースではBが所属していた陸上部が同じく練習をしている夢でした。夢のなかで他愛のない会話をAやBと交わしたことも覚えています。何より、現在では中学時代の友人とはほぼ音信普通の状態だったということ、、もともと自分自身がそんなに記憶に残るような夢を見ないタイプであること、そんな自分が、朝起きたときに会話の内容まで覚えているような夢をみて「何かリアルやったなぁ」と思っていたところに、友人Aからの連絡です。これはびっくりしますよね。
「世に言うところの予知夢だ」と思いました。とうとう自分も「超常現象」を経験した、という変な気持ちの高まりを感じ、やはりまだ理屈では説明できない不思議な力が人間の中に隠されていて、何かの拍子に顕れてくるものなんだなぁと思いました。
■ 「思い込み」の危うさ
実は私の予知夢のような「虫の知らせ」や、ひいてはUFOや心霊現象など、科学的に証明できない出来事を体験することによって、信じてしまう。これらは人間の「認知-思考システム」の本質が関わってきます。
例えば行動心理学上の言葉で「関連性の錯誤」というものがあります。
これは実際には関連が全く、もしくは少ししかない2つの出来事の間に、強い関連性を見出してしまう現象のことを言います。人間には目立ったことが2つ続けて起こると、単にその2つが目立つということだけで関連性があると判断してしまう特性があるのです。
つまり私の上記の経験でいうと「中学時代の知人Bが夢に出てきた」ことと、「知人Bが病死する」ということは、当然ながらそれぞれ珍しい出来事なので、その2つの間の関連性が非常に認知されやすい状況になります。
■ 予知夢の正当性を実証するには
「私に見た夢が予知能力によるものだった」という事象を正当付けるためには、夢を見なかったときの事件や、事件が起こらなかった時の夢など、四分割表の全てのマスの割合を考慮する必要があります。
ところが人間というものは夢を見たとしても、その多くは目覚めた直後は覚えていてもすぐに忘れてしまって、記憶には長く残りません。ところが不吉な夢を見た直後に、実際に不幸な事故が起これば、その夢は強烈な員層を持って記憶に残ります(四分割表のA)。一方で、友人に関する不吉な夢をみて不安に駆られても、その人たちに何事もなければ、不吉な夢を見たこと自体が忘れ去られていくことになります。このような現象を「認知バイアス」といいます。
「長らく記憶に埋もれていた友人の夢を見た」ことと「友人が病死した」ことの正当性を実証するには、そうでないパターン(四分割表のB、C、D)、すなわち反証事例を考慮して、認知バイアスがないかどうかを検証する必要があるのですね。
ある天文学者は「当たったケースは残るが、外れたケースは残らない。このように人間は知らず知らずのうちに『共謀』しあって、こうした現象の頻度について偏った記録を取っている」と語っています。
例えばいつの時代にも現れる予言者も、その大きな事件・事故の予言的中がインパクトを持って伝えられるのですが、実はその裏に膨大な数の「外れ」予言があるということなのです。
普段からリサーチにおいて統計の数字を扱っている立場から、このような事象を鵜呑みにすることの危険性を「理論上は」理解しているつもりです。今回の文章もそれなりの立場から書きました。
ただ、あの夢を見た後の不思議な気持ち、友人から電話で連絡を受けた時に感じた「デジャブ感」、理屈では表せない、つかみどころのない不安感に対して、大げさにいうと「人生観が変わるかも」、というくらいの驚きを感じたことも事実です。人生も半ばを過ぎる段階にきますと、なかなか新鮮な驚きというものはないかと思うのです。なのでこのような神秘的・ミステリアスな領域は、あまり理屈でがんじがらめに解明するのではなく、ミステリアスなままで残しておきたいという気持ちも、一方であったりします。
(山本)