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大阪のマーケティングリサーチの専門機関、市場調査社のスタッフブログです。
日常生活でスタッフが感じたことや、弊社のサービスの紹介をしていきます。

とある夏の思い出【完結編】(石倉)2023年1月27日 金曜日

唐突ですが、うちの息子は、「ギネスレコード・ホルダー」です。

出典:https://www.guinnessworldrecords.jp/

 

うちの息子がギネス記録に挑戦することとなった経緯については、「とある夏の思い出【前編】」を、挑戦までの苦労話は「とある夏の思い出【中編】」をご覧いただければ幸いです。

 

今回の「とある夏の思い出【完結編】」では、いよいよ、ギネス記録への挑戦の顛末をお伝えしたいと思います。完結編までお付き合いいただきありがとうございました。
もはや、季節は、「夏」でもなんでもなく、「真冬」になっちゃったんですが・・・

 


 

挑戦の準備も1つ1つクリアし、ちゃんと整えた。
あとは天気の心配だけだった私。
最大のハードルから目を背けていた私・・・。

 

【最大のハードル】

 

この挑戦を決めたとき、「二人三脚くらい、50メートルはおろか、体力の続く限りどこまでも歩ける」と思って楽勝気分に浸っていたのは、大人の発想なんですよね。

当時40歳の私は、その5年前の35歳のときも、きっと5年後の45歳になっても、体格や体力なんてほとんど変わらないと思っていましたし、事実あながち外れてもいないと思います。
でも、小学生にとっての5年間ってすんごい変わるんですよね。
今にして思えば当たり前なんですけど、当時は気付きませんでした。
1年生から6年生って、ものすごい身長差がある。
組む肩の高さが違う。足の長さも違う。体格だけでなく、元気さも、集中力も、周りとの調和力も、先を読む知力も。

 

そもそも低学年の子どもは、2人での二人三脚ならそれなりに出来る。だけど、距離が伸びてくると少しずつリズムが崩れ始め、そのズレが徐々に拡大し、ある時に沸点を越えてバランスを崩し、途中でこける。
要は長距離の二人三脚が出来ない。
まして、3人での二人三脚が出来ない。真ん中の子は、右の子と歩調を合わせると、左の子がおろそかになる。左右を同時に意識するのは至難の業。
そこで、低学年をカバーするために高学年と交互に組ませてみる。すると、今度は体格が違い過ぎてそもそも肩が組めない。歩幅が違い過ぎる。

本番一か月前くらいから、5人程度の小ユニットで少しずつ個別に練習をはじめ、徐々に10~20人くらいの中ユニットに膨らませたりしていきましたが、何回練習しても一向にできない。
高学年だけなら10人でも平気で歩いてくれるのですが、低学年が混ざると途端にできない。
参加する全員の身長を考慮し、いろいろなユニットで組んでみましたが、全然できない。

10人も居れば、50メートル行くまでの間に、どこかで崩れる。
50メートルはおろか、5メートルも行ったら崩れる。

最初のうちは失敗しても、慰めや笑い、応援が起きる。
でも、炎天下の中、失敗が続くと、崩れた子どもへの非難が始まる、口論からケンカに発展する。
怒って離脱する子、泣いて離脱する子、殺伐とした雰囲気に立ちすくむ子。阿鼻叫喚!!

まったく歩ききれないまま、挑戦までのタイムリミットは迫るばかり。
おいおい、福岡のすべてのテレビ局呼んじゃったよ、まして、霞が関から現役大臣まで呼んじゃったよ。
出川さんじゃないけど、「やばいよ、やばいよ」を地でいってましたね。

 


 

そんな悲惨な失敗を繰り返す中、最大の問題は、「足を出すタイミングが一致しない」ことにあると気付きました。
足を出すタイミングが隊列の中で一致しないから、ばらばらになって噛み合わない。
んで、こける。

また、先行するユニットや、後れを取るユニットが現れてしまい、横一線のはずが大きく波打ってしまう。
そのうち、先行ユニットと後れを取るユニットのハザマに居る子どもたちが足をすくわれる。
んで、こける。

ここを打開しないと、いつまでやっても失敗の繰り返し。

んじゃ、足を出すタイミングを統一しよう!ということで、小学校にあった「大太鼓」を担ぎ出してきて、「ドン!」「ドン!」と鳴らしてみます。たしかに、「足を出すタイミング」は揃えることが出来てきました。

おー、いけるかも!
と思ったのも束の間。

低学年の子どもは「どちらの足を出すのか?」が途中でこんがらがってくる。
んで、やっぱりこける。

んじゃ、「右」「左」を知らせてあげようと思う訳ですが、左右交互で並んだ子どもたちにとって、「右足」を出さねばならない子もいれば、「左足」を出さねばならない子もいる。
つまり、「右」「左」は使えない。

んじゃ、どうするか?
そこで、誰かが思いついてくれたのですが、子どもたちの足を結ぶひもとして、紅白の2種類のひもを準備しました。それを左右交互に結んでいったのです。
そうすると、「赤」といえば、偶数列の子どもは「右足」を、奇数列の子どもは「左足」を出すこととなり、二人三脚が成立します。

ついに光明が差してきました!

足を出すタイミングは「大太鼓」が統一してくれる。
その大太鼓に合わせて、大人たちが「赤っ!」、「白っ!」と声を掛ける。
これで、右なら右、左なら左、然るべき足を、124人が同じタイミングで出すことが出来る。

また、隊列の波打ち防止の対策として、子ども10人ごとにおやじを一人配置して、隊列を整える。
先行しかけているユニットには抑制を、後れを取りかけているユニットには巻きを。

完璧すぎる!

今度こそ何メートルでも歩ける!

そして、いよいよキャンプ初日の土曜日。
つまりギネス挑戦本番の前日に、初めて124人全員集合しての大ユニットでの練習をやりました。

結果は・・・?

 


 

・・・。

・・・こける。

・・・・・・やっぱり、こける。

・・・・・・・・・何度やっても、こける。

なぜ?

???

指導しているおやじたちに焦りと疲労が漂う。
なにより、炎天下の中、なんどやってもできない子どもたちの徒労と疲労がハンパない。

これ以上、練習で子どもたちを疲弊させるわけにもいかず、やむなく練習は中断しました。
結局、練習で1度も成功しないまま翌日の本番を迎えることに。

「やばいよ、やばいよ~~」

 


 

その後も、初日のアクティビティが次々と進んでいきます。
晩御飯を作って、キャンプファイヤーして、やっと子どもたちにも笑顔が戻ってきました。

夜も更けてきたタイミングで、現場を副委員長のお2人にお任せして、ひとり学校を抜け出しました。
学校の近くにある、普段、おやじたちが行きつけのショットバー。

オーダーは、当然、「ギネスビール」

 


出典:https://www.google.com/search?q=%E3%82%AE%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%AB&hl=ja&sxsrf=AJOqlzV_vYAPMVFOUB-lpHCxC1JjVZUiCw:1673149615694&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=2ahUKEwikj_-DiLf8AhVnmlYBHZz_DLEQ_AUoAXoECAEQAw&biw=1233&bih=657&dpr=2

たいして美味くもない「ギネスビール」を3本ほど立て続けに飲みほしながら、「ギネス社のPRだけでなく、直接的な売り上げにも貢献したんだから、なんとかして!」と願っていました。
※ギネス社関係者の方が読まれていたら、この場を借りてお詫びします。練習がうまくいっていない腹いせですのでご勘弁を・・・。

 


 

なんだかんだで、いよいよ、運命の日、本番当日の朝を迎えました。

お天気は、8月の夏本番、「ど晴天!」
唯一の願いだったはずの「晴天」も、もはや、どうでもよいくらい、心がさざみだっています。

「やばいよ、やばいよ~~」

ところで、ギネス社から示されたレギュレーションにこんな一文もありました。

【挑戦は一回だけ】

当初は、気にしていませんでしたが、これだけ練習がうまくいっていないと、重くのしかかる十字架、いや呪いのメッセージのようになってきていました。

 


 

朝ごはんをみんなで作って食べて、校庭に張ったテントを撤収して、粛々と午前の行事が進行していきます。

さて、いよいよ、本番。
まずは、隣の中学校まで引率、ギネス戦士たちが整列して歩んでいきます。
そして、いよいよ中学校に到着。
小学校よりもはるかに大きい校庭に、子どもが124人整列しました。
父兄もその倍くらい集まっています。
小学校の教職員だけでなく、中学校の教員も結構集まってくれていました。
証人役の、隣の小学校の校長やおやじの会代表も。

しかも、福岡の全テレビ局、全国紙の新聞社、空にはヘリも2機、現役大臣まで。

役者は揃いました。

練習で一度も成功していない。
挑戦は一回だけ。

すんごいプレッシャー。
たぶん、人生最大のピンチ。
コンセプトをぶち上げたときは、成功することしかアタマに無かったので、失敗した時のこと考えてなかった。
ものすごい後悔
逃げ出したくてしょうがなかった。

「やばいよ、やばいよ~~」

 


 

まずは、ギネス挑戦の火ぶたを切るおやじの会代表のあいさつ。

続いて、来賓を代表して、大臣にスピーチしてもらいます。
力強いコメント、満面の笑み。
彼にとっては、選挙権の無い子どもたちは眼中になく、周りにいる父兄や教職員たちが票田にしか見えていないんだろうな、などとやさぐれて話を聞いていました。

そして、実行委員長である私もスピーチ。
「1人1人じゃ世界記録を出すのは大変だけど、みんなで力を合わせれば、世界記録も夢じゃない!」
昨日までの惨憺たる練習を目の当たりにしながらですので、夢は夢かも、とあきらめムードでした。

そして、いよいよ、本番スタートです。

なにしろ、挑戦は一回だけですので、最後にもう一度全体練習をしようと言うことになりました。

結果は・・・?

 


 

相変わらず、途中でこける。
2~3回やりましたが、やっぱりこける。
我々は、やはりか・・・、というリアクションでしたが、本番だけ駆け付け練習を初めて観た父兄や教職員、来賓、そして何より報道機関がざわつき始めます。

そりゃ、そうよね。

撮影クルー出して、夕方のニュースの枠取りもして、まして「ヘリ」まで出しちゃって。
成功こそすればニュースバリューはあるけど、失敗したら、なんの価値もないロケ。

「やばいよ、やばいよ~~」

 


 

でも、ここまで来たら行くしかない。

スタートラインに並ぶ子どもたち、
ゴールラインにひとり立ち尽くす私。

 

出典:https: //blog.goo.ne.jp/idea-p

 

意を決し、

「位置について」

「よーい」

「どんっ!」

という私の掛け声に合わせて、大太鼓が鳴ります。同時に、おやじたちから「赤っ!」の掛け声。おやじに呼応するように子どもたちの元気な「赤っ!」の声。

ここで異変が。
実は、この挑戦が終わるまでの間、私の耳に入ってきた「音声」はこれが最後となります。
私の聴力は完全に消失していました。

・・・・・・・・・・。

静寂。何も聞こえない。
まったくの無音の中、子ども達が一歩一歩、私に向かって歩んできます。

メートルラインを越えました。
練習での限界ラインをいともたやすく越えてきました。
まったくの無音の中、土ぼこりを立てながら歩みは続きます。

10メートルライン通過。

15メートルライン通過。

おいおい、すごいやんみんな!

ここまで来たら、私たちに出来ることなど何もありません。祈ることくらいしか。

25メートルラインを通過。

このあたりで、隊列が大きく波打ち始めます。
隊列を整えるために10人おきに配置されていたおやじたちも、極度の興奮状態で周りが見えなくなっています。

「隊列整えて!」「そこの集団、先行しすぎっ」「歩みを抑えて~!」
大声で叫びましたが、自分の声さえ聞こえない。みんなに届いているのかも分からない。

先行集団が、35メートルラインを越えた頃、しんがりは30メートルラインにさえ到達していません。
それでも、子どもたちの歩みは力強く、一歩一歩私に向かってきます。

遠巻きに見ていた父兄や教職員たちも、立ち上がり、フィールドに集まってきて、声の限りに応援しています。
大声援は聞こえませんが、身振り手振りの必死さから伝わってきます。

「いけるよ、いけるよ~~」

そして、40メートル、45メートル。
誰もこけません。

祈りはピークに達します。

線香花火の最後の火球である「散り菊」を必死に耐えしのぎ、堪えている感覚に似たもどかしさ。
たのむ、耐えてくれ~。

ついに、先行集団が50メートルラインを越えました!
子どもたちが歓喜しています。担当のおやじも万歳しています。

慌てて、
「まだ、全員がゴールしていない」「そのまま歩いて」「そのまま~」「止まるな~!!」
必死で叫びます。

そして、いよいよ最後尾の子どもがゴールラインを越えました!
大太鼓が連打されています。乱れ打ちです。
大人も子どもも抱き合い、飛び跳ね、大はしゃぎです。
ここで、音声が戻ってきました。

 

出典:https: //blog.goo.ne.jp/idea-p

 


 

なんと言うことでしょう。

練習では5メートルすら歩けなかった子ども達が、本番で成功させてくれました。
1回しか挑戦できない本番で、今まで見せてこなかった力を覚醒してくれました。

楽勝な挑戦だったはずが、いつしか、無謀な挑戦に。
しかし、子ども達は本番でいとも容易くやってのけました。
本当に、子どもたちの集中力ってすごい。なにより潜在能力ってすごい!
オトナの判断で諦めるのではなく、コドモの可能性を信じるべきだと教わった夏でした。

ちなみに、その日の夕方、福岡の各テレビ局で取り上げられていたニュースを、ももち浜の海沿いのカフェで「ワンセグ」通じて視聴し、みんなで祝杯をあげたのが、よい思い出です。

 

全国紙の「全国版」にも掲載頂きました。

出典:asahi.com(朝日新聞社):124人125脚、世界記録だ! 福岡の小学生 – 小中学校ニュース – 教育

 

小学校の掲示板にも掲出いただきました。

出典:まつばの会 ブログ (jugem.jp)

 


 

それから10年くらい経ったころ。
大阪で高校生になっていた息子に、「なあ、ギネス覚えてる?」と聞くと、「あんま覚えてへん、とにかく暑かった」とつれない返事。
子どもが成長する過程において経験する様々な事柄からすると、そんなもんかもな、とさびしく思いつつ、私は毎年、夏の暑い日差しに出逢うたびに、「あの夏」を思い出しています。

「とある夏の思い出」、全編終了

※ちなみに、今回のスタッフブログは、「最大文字数」の世界記録を目指していたわけではありませんが、脱線しまくってしまい、飽き飽きするほどの長文になってしまいました。
こんな駄文に最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

皆さんのギネス記録挑戦がうまくいきますように♪

<完結編終了>

石倉

とある夏の思い出【中編】(石倉)2022年12月9日 金曜日

唐突ですが、うちの息子は、「ギネスレコード・ホルダー」です。

出典:https://www.guinnessworldrecords.jp/

 

うちの息子がギネス記録に挑戦することとなった経緯については、とある夏の思い出【前編】をご覧いただければ幸いです。

今回の、「とある夏の思い出【中編】」では、今後、ギネス記録に挑戦される皆さんの参考になればと思い、ギネス記録挑戦までの苦労話をお伝えしたいと思います。
ギネス記録を目指す方がいらっしゃるのかは知りませんが・・・。


「世界記録への挑戦」

 

おやじの会の実行委員会で夏の校内キャンプのコンセプトが承認された時点で、「世界記録目指すぞ!」のはずが、その時点ですでに、なんだか「世界記録獲ったぞ~!」といった高揚した錯覚だけが先行していました。
参考書買っただけで勉強できた気になる、カラ出張ならぬカラ勉強に近い感覚ですかね。
しかし、本格的に準備に取り掛かってからすぐに、「始めなきゃよかった」と後悔し始めました。
記録挑戦までに乗り越えなければならないハードルは数え上げればきりがなかったからです。

ここからは、ギネス記録樹立に向けての苦労の軌跡です。


【ハードル①:憎っくき英語】

 

ギネスワールドレコーズ社は世界各国にありますが、イギリス本社なので社内公用語が英語です。つまり、ギネスワールドレコーズ社とのやり取りは「基本、英語」となります。もちろん、お金を払えば日本法人と日本語でやり取りもできますが、そもそも非公式団体であるおやじの会には「予算」が1円もありません。そんな団体が有償で日本語サービスを受けるなんて贅沢極まりない。

途方に暮れていると、おやじの会のあるお父さんから「うちの奥さん、翻訳業やってるから引き受けるで」(実際は博多弁でしたが、忘れちゃいました。以降、すべて大阪弁で記載)
助かりました。本当に助かりました。

一方で、30人くらい居たおやじの誰一人として、英語が出来ないことにホッとしたことも思い出します。


【ハードル②:小学生でも達成可能な競技探し】

 

そこから、みんなで日本語の文面を書き、奥さんに翻訳してもらい、先方から届いた英文を日本語に翻訳してもらい、みんなで読み込むというようなキャッチボールを何度も重ねました。
最初のやり取りは、「日本の小学生たちで世界記録に挑戦したいねんけど、なんか良さそうなんある?」と送りました。

「こんなんあるけど、どない?」という先方からの返事に書かれていたものは、どれも難易度が高く、これは無理そうだなと言うものばかり。
「他に良いの無い?」と聞くと、「自分で調べるなり、考えるなりせえや」というつれない返事。
そこから、手分けして過去の記録を探したり、達成できそうな新たな競技を考えたり四苦八苦した末に、東京の小学生がギネス記録を樹立していた過去記事に行き当たりました。

競技は簡単です。

「二人三脚の要領で、どれだけ多くの人が繋がって50メートルを歩ききるか」

出典:二人三脚 – Google 検索

 

ポイントは、スピードや距離ではなく、「人数」です。
なんと、これなら小学生でもできそうだ!いや、できる!
東京の小学生が樹立した記録は100人未満でしたが、我々のキャンプには100人以上集まる。これしかない!ついに見つけました!
ただ、1つ気掛かりなことがありました。
せっかく、東京の小学生たちが樹立した記録をたやすく抜き去るのは忍びないという親心でした。大人げないと言うか・・・
なので、いったんこの案は棄却として別案を探すことにしました。
しかし、やはり競技探しは難航します。いろいろ新競技を考え出してはギネスワールドレコーズ社に(英語で)問合せしますが、そのたびに「そんなんおもろないからあかんわ」と却下の嵐。

いよいよキャンプの日程から逆算すると、間に合わなくなるというリミットが迫ってきたため、意を決して、ギネス記録を樹立していた東京の小学校(主催はPTAでしたのでPTA会長)に直談判の電話をかけました。
趣旨を説明し、大変申し訳ないけど、あなた達の記録に挑戦していいかと尋ねたところ、最初は「別の競技」をいろいろ提案してこられました。「あー、やっぱり、越えてほしくないんだろうな」と推察できたので、この協議を諦めようと考えていた時に、「他に打ち手がないなら、同じ競技で挑戦してくれてもいいですよ」と救いの手が・・・。
加えて、「ギネス記録は、樹立した時点の世界記録を認定するものであり、誰かに抜かれたら2位に転落するといったものではなく、その時点の1位は不変です。だから遠慮なく頑張ってください」と優しいひと言も。この助け舟に救われて、晴れて「124人125脚で50メートル歩ききる」に挑戦することが確定しました。


【ハードル③:記録の証明】

 

ギネス記録は、ギネスの公式認定人に立ち会ってもらって証明するか、別の何らかの方法で証明する必要があります。公式認定人と言えば、テレビでよく見る女性、見覚えのある方もいらっしゃると思いますが、あの方、普段東京にいらっしゃるので、福岡で立ち会ってもらうには人件費+交通費がかかります。当然そんな予算はなく。よって、別の方法になります。

ギネスワールドレコーズ社によると、公式認定人を呼ばない場合は、下記の3層を集めることが理想とされています。

①記録と直接関係しない教育者(校長クラス)、②政治家、③マスコミ

理由はいとも簡単で、①②は、社会的地位があるため不正を見過ごさない役割を担います。③は不思議に思う方もいらっしゃるかも知れませんが、そもそもギネス記録は、「ギネスビールの周知・販促ツール」という位置づけがありますので、ギネス記録がマスコミを通じて報道されれば、広告・販促費を一切使わずに「ギネスビール」をアピールする効果が期待できるからです。

まず、①ですが、これは親交のあった隣の小学校のおやじの会の連中に頼んで、隣の小学校の校長に当日立ち会っていただくようにしました。
(こんなに簡単に校長たちを差配してよいものかと心苦しかったりしましたが・・・)

②に関しては、地元選出の衆議院議員、しかも現役大臣と接点があるおやじが居たのでそのルートで打診したところ、快諾頂けました。
ちなみに、霞が関から当日駆け付けてくださった大臣に対し、お礼や世間話をしたんですが、現職の大臣と、しかも普段着で直接話すなんて機会は、人生、最初で最後だと思います。

出典:国会議事堂 – Google 検索

 

残るは③マスコミ。
こちらは、九州最大手の広告会社に勤務しているおやじがメンバーに居たので、福岡の全テレビ局に声をかけてもらい、実際、ヘリコプター2機含め、全局が当日取材に来てくれました。
また、別のおやじは全国紙の新聞社勤務でしたので、自らカメラマンを買って出て撮影に奮闘してくれました。

出典:報道ヘリ – Google 検索

 


【ハードル④:124人が横一列に整列して、50メートル歩くスペースがない】

 

挑戦する競技が決定した時点で、またもやカラ勉強の癖が出て、「記録達成」の気分に浸っていました。
いやいや、いかん、まだ準備は終わっていない。
とりあえず、ギネスワールドレコーズ社に対して、「(英語で)124人125脚で50メートル歩ききるに挑戦しようと思うけど、それでええ?」と聞くと、「ええで、がんばりや!」「ルールや条件は東京の小学生がやった時のと同じでいいから、添付しとくのでよく読んどきや」という返事が届き、いよいよ公式に挑戦が始まることとなりました。
先方から公式に許可が出た時点で、カラ勉強よろしく、・・・
もう、この件は要らないですね。

勝ったも同然と思っていた私たちは、先方から届いたレギュレーションを読みながら、ふとした一文に目が留まりました。

「競技遂行にあたって、安全性を確保できる十分なスペースを確保する事」

そりゃそうよね。当たり前すぎて考えもしなかったけど、言われてみれば確かに。そもそも、我々の競技ってどれくらいの広さが必要なんやろか?
縦は、50メートル歩ききるので、スタートスペースとゴールスペースに少し余裕をみたとして、60メートルくらいあれば十分かなと。
横は、小学生の体格から1人30センチ幅として、肩を抱き合い密着するから、125人×30センチで、おおよそ40メートルくらいあればいけそう。
つまり、60メートル×40メートルの平らな空地があれば問題なさそうです。
小学校の校庭をなめるなよ、体育の時には50メートル走だってやるんだから余裕余裕と思っていたのですが、念のため、実測してみることにしました。
息子たちが通っていた小学校の校庭は、長方形で、縦は100メートルくらいあり、横も45メートルくらいありました。横が、ややギリでしたが、子どもが横一線に並ぶには十分で、縦も100メートルもあるので、50メートル歩ききるには十分でした。
と思っていた矢先、あるお父さんが「鉄棒・・・!」と叫びました。

出典:https://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/soshiki/kyouiku/ps-equipment.html

 

なんと、校庭の一部が鉄棒やうんてい、登り棒などの遊具スペースとなっており、競技にあたっての障害物となっていました。
なんとか、障害物を避けて60メートル×40メートルの平地を確保できないかと、みんなでパズルしたのですが、不可能であることが分かりました。
おいおい、こんなとこでつまづくのか・・・、

そこで、日ごろからおやじの会の活動に賛同いただき、何かと便宜を図って頂いていた校長先生に相談に伺い、「校長、あの鉄棒抜いてもいいですか?」と切り出しました。いつもは、たいがいの無理は聞いてくれていた校長ですが、さすがに、「それは、あかんわ。抜くのは素人でも抜けるかもしれへんけど、元に戻すのは素人では無理なので業者を呼ばないとあかん。その費用出せますか?」「お金はありません」。
暗礁に乗り上げてしまいかけたとき、「隣の中学の方が校庭は広い。中学の校長に頼んでみよか?」という校長先生の神提案に「ぜひ!」とお願いしました。
で、さっそく中学の校長にお伺いしてもらったところ、「校庭の管理者の先生を紹介しますので、その先生がOKなら大丈夫です。ただ、NGだった場合は、私から強くは言えないので」と言う返事でした。
ちなみに、その中学校とは、うちの息子の姉、つまりうちの長女が通う中学でして、運動場管理者として出てこられたのは、なんと長女の部活(女バス)の顧問で、顔なじみの先生でした。

ところで、福岡という県は、政令指定都市を2つ抱える大型県であり、我々が住んでいた福岡市は、京都市や神戸市をしのぐ160万人以上の市民を擁し、まだまだ人口が増え続けている大都市と言っても過言ではないのですが、意外とコネクションネットワークが色濃く残るムラ社会であったりもします。
ですので、娘の顧問が出てきた段階で「勝負あり」でした!
「いつも娘がお世話になっております。今日は息子の方でお願いごとがありまして・・・」と一通り説明したところ、顧問は開口一番、「協力させてください!やりましょう、世界記録!」と快諾してくださり、本番当日に予定されていた体育会系の部活をすべて中止とし、運動場を全面的に空けてくれました。
やっとこさ、会場確保に目星が立ち、ギネス挑戦が現実味を帯びてきた瞬間でした。


 

いよいよ、ギネスワールドレコーズ社が求めてきたすべてのレギュレーションを満たすめどが付きました。
すべてのハードルを満たした私は、「あとは当日晴れてくれたらいいな♪」と、天気だけを心配するくらいノー天気でした。
最大のハードルが残っているとは思いもせず・・・

 

実際の挑戦結果は、完結編として近日公開予定ですので、懲りずにお付き合いいただけると幸いです。

<中編終了>

(石倉)

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