大阪のマーケティングリサーチの専門機関、市場調査社のスタッフブログです。
日常生活でスタッフが感じたことや、弊社のサービスの紹介をしていきます。
各メーカーやサービス提供者は、当然ながら顧客とのつながり、コミットメントを築くために、様々な試みをしています。新規ユーザー紹介キャンペーンであったり、長期ユーザー限定特典だったり。試行錯誤、紆余曲折を経ながら顧客との情緒的な繋がりを深めようと苦心しています。そんな中、たった1枚のハガキでその会社の大ファンになった、僕自身の経験を、今日は紹介したいと思います。
その会社は東京にある幼児・児童書専門の出版社です。息子の1歳の誕生日にその会社の絵本を購入して、特に思う事もなく、いわゆる読者カードを送ったのが、その会社との“薄―い繋がり”の始まりです。
以降、子供の誕生日間近になると、毎年その会社から息子の名前宛てでバースデーカードが送られてきました。といっても、絵面はその会社の絵本の1場面で、特に個人に当てたメッセージが記されているわけでもなく、こう言っちゃ身も蓋もないですが、ありきたりの顧客対応といえば、それまでです。ただ子供って自分宛ての郵送物が来ると、それだけで嬉しがるもんで、幼稚園ぐらいまでは結構そのハガキが来るのを楽しみにしていたりして。
でも小学も中学年、高学年にもなると、当然ながらそのハガキへの興味も薄れ、親子共々「あー、また来てるね」ぐらいな感覚が、正直ここ数年の印象でした。
そんな昨年末に、その出版社から届いたのはいつものハガキではなく封書でした。その中に子供向けのメッセージとして書かれていたのは、
・何年も前の今日という日にあなたが生まれたこと
・その誕生を喜んでお祝いしたいと思った家族やあなたの知人が買ってくれたことで、私たちの会社から毎年バースデーカードを届けられるようになったこと
・それはあなたが本と友達になってくれたことへの感謝の気持ちであること
・でも、それなりの年になって、もしかしたら送られてくるカードがちょっと子供っぽ過ぎるな、と感じてませんか
・もしそうであれば、これから絵本に出会うであろう、小さな子供たちにカードを受け取る楽しみを譲ってあげてくれませんか
というような内容でした。「毎年のカードの送付に一旦区切りを付けます」という、出版社からのお知らせ、ということです。
確かにその会社からすると、毎年30~40万人にカードを送っているわけで、どこかのタイミングで区切りを付けないと、いくら顧客満足のためとはいっても経費は高まるばかり。この出版業界冬の時代には、至極当然な対応ではあります。
ただ、文面には「もしカードを今でも楽しみに待っていてくれているのであれば、お祝いのカードを送ることは私たちにとってもうれしいこと」と綴られていました。
こんな丁寧な断りの文章を送ってくること自体がちょっとびっくりなのですが、最後に書かれていた文章で、心揺さぶられました。
「これから大きくなるにつれ、きっと今までよりももっといろいろな種類の本で出会うことになるでしょうが、勉強やスポーツ、さまざまな楽しみも増えて、本から遠ざかることもあると思います。でももしあなたが困った時や何か知りたくなった時、誰かに相談したくなった時には、その相談先として“本”があることも忘れないで。きっとこれからのあなたの人生に本が力になってくれる時があると信じています」
そうなんですよね、本の世界を知ることで(別に書物でなくても、映画であったり音楽であったり、そこは人それぞれなんでしょうが)、そこから得られた知識や想像力が、いかに今の自分の血肉となっているか、活字中毒であった自分にとっては、はたと膝を打つ想いでした。
そしてこの会社は、自分たちの提供している商品が、そんな子供たちの成長や助けとなる最初のきっかけづくりをしているという事に対して、心から誇りに思っているんだということがビンビン伝わってきます。その想いを決して押しつけがましくなく恒例のカード送付に絡めて伝えられる、素晴らしいコミュニケーションだと思います。
少なくとも僕はこの書面を大事に残して、息子が将来に必ずや経験するであろう「本との関わりに感謝する時」に、この書面を見せてあげるつもりですし、このハガキに対して逆に感謝の手紙を返したくらい、コミットメントが強まりました。ついこの間まで「あー、またカード来たね」程度の関係性だったのが、今ではこの会社のコトを他人に推奨したい、という思いまで高まっている、それは多分、これから自分の家族や知人に子供が誕生する場面において、ずーと受け継がれていく想いになるんだろうと思います。
これって正に「百年企業」であることの真髄のような、顧客との幸せな繋がりのような感じがしませんか。
たった一枚のハガキに込められたメッセージが、なんでも裏読みして額面通りに受け取ろうとしない50男の気持ちをも揺り動かした、という一例でした。
(山本)