大阪のマーケティングリサーチの専門機関、市場調査社のスタッフブログです。
日常生活でスタッフが感じたことや、弊社のサービスの紹介をしていきます。
■台湾の感想
プライベートで台湾に行ってきました。
中華圏は初めてだったのですが、なんというかその文化に色々と衝撃を受けました。
中でも特徴的だったのは龍山寺というお寺で、
ここには仏教、道教、儒教の神さま仏さまがエイヤっと祀られている上に、歴史上の人物なんかも祀られていて、
言わば神仏のアベンジャーズ状態。これでもか!と言わんばかりのぐいぐい来る迫力を感じました。
そんな足し算的な発想を旅行中は随所で感じ、これが中華圏かーと圧倒されたものです。
■天神祭りの仕掛け花火
いきなり話は変わり、先日の天神祭に行ってきました。
ありがたいことに花火大会の企業協賛席のチケットを頂き、
聞けば、船の上で花火を観覧でき、更には豪華なお弁当と冷えた缶ビールまで振舞われるというステキなチケット。
行くしかありません。
企業協賛の花火は通常のものと異なり仕掛け花火となっています。
司会の方が協賛企業を紹介し、その企業の花火が1分程度あがる。それを30社くらいでしょうか、企業分繰り返すという進行です。
隣では通常の花火がひっきりなしに打ち上げられているので、そっちを見ても良し、仕掛け花火が始まればそちらに目を移すといった感じです。
仕掛け花火はこんな感じであがります。
通常の花火と比べると、仕掛け花火は派手さでは到底かないません。
ただし各企業、工夫があり「次はどんな構成でくるの?」と期待させる楽しさがあります。
それはあたかも1分間の花火演劇を見ているよう。
次の花火までには少しのインターバルがありますが、花火後にもれなく振ってくる灰や火薬の香り、
行き交う船やそこからの太鼓や笛の音、周囲の人と一緒に手打ちをする一体感など、
その場の空気を感じながら花火を待つ。
そして、そんなインターバルがあるからこそ逆に1回1回に集中していることに気づきます。
派手ではないものの、思わず感動し拍手がでる回も少なくないのは、
集中して余すことなく花火を鑑賞している環境も影響していると思います。
■引き算するから見えてくること
夜空を埋め尽くす花火の圧倒的な迫力は魅力です。
これでもか!と打ちあがるダイナミックな演出、今までの私の花火の楽しみ方はこちらでした。
でも、引き算して一つの要素に絞るからこそ、かえって見えてくるものがあります。
今回の天神祭りの花火が教えてくれたのは後者の楽しみ方でした。
どちらがいいという話ではないですが、一輪挿しの朝顔で美しさを示した千利休を例に出すまでもなく、
引き算発想は日本人のメンタリティがマッチする方向性だと思います。
余計なモノを取り除いた結果残るシンプルな本質、そんな視点を仕事にも活かしたいと思う次第です。
…と言いつつ、つい先日、淀川花火大会のど派手なクライマックスに歓声を上げてきたところです。
どちらがいいという話ではないですね(笑)
(安部)
自転車に乗るのが気持ちのいい季節となりました。弊社のビルには室内自転車置き場があり、そんな恵まれた環境もあって数年前から自転車通勤をしています。コンクリートジャングル新大阪から、怪し気な魅力溢れる十三、住みやすそうな福島を通り抜け、靭公園の自然を愛でる片道7キロ30分程度のコース。電車通勤より早いし、満員電車から解放されるし、なんとなく運動している気分になれるし、エコだし、いいことづくめ。夜は赤ちょうちんや立ち飲み屋など個性的なお店が多いエリアでもあり、そのあたりにご興味のある方は是非お声がけ下さいませ。
■自転車のアドバイス
さて、そんなこんなで一端のツーキニスト気取りの私ですが、先日息子の補助輪を外し、自転車の特訓を行いました。
「いいか、ビューって早くたくさんこいで、あとはヒョイヒョイってバランスとるんやで!」
当然、すぐにコケます。
「もっとビューっとこいで、あとはビョーンって遠く見なあかんで!」
もちろん、すぐコケます。
自分でもわかっているのです。ビューとかビョーンとか、意味のわからない擬態語のアドバイスをされてもわからんだろうなと。自分のボキャブラリーのなさにも辟易しますが、よく考えると、なんで自分が乗れているのかもわからず、そして意識せず乗っているだけに、アドバイスのしようもなく。自らの経験から導き出される次なるアドバイスは…
「まああれや、10回はコケなあかん。10回コケる頃には乗れるようになってるわ!さあコケろ!」
もはや気合の世界です。経験上は紛れもない事実ではあるものの、KKD全開です。昭和を感じます(そういえば、最近KKDなんて言わない?)。
■KKDなアドバイスしかできないのは・・・
「僕は天才ではありません。なぜかというと自分が、どうしてヒットを打てるかを説明できるからです」。
ご存じイチローの言葉ですが、なんとなくできるようになることもあるでしょう。なんとなく成功することもあるでしょう。でもそこで理由の説明ができなければ、再現性に乏しいかもしれません。真の天才で、いくらでも再現できたとしても、他人に伝承していくことは難しいはずです。感覚で乗っている自転車もしかりです。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
ご存じ野村監督(オリジナルは松浦清山と言う方だそうですね)の言葉ですが、成功した時も失敗した時も、「なんで?」がわからないと次につながらない。KKDには暗黙知としてそれが詰まってはいるのでしょうが、見える化しないと使いづらいことこの上ないのは、自転車アドバイスでもしかりです。
※それにしても、野球で例えると昭和感が増しますね。
■特訓の結果
最近ではKKDを「勘・経験・度胸」から、「仮説・検証・データ」と言い換えることもあるそうです。なるほど。ここはツーキニスト兼リサーチャーらしく、コケる要因を分析して的確なアドバイスをしてやるか!と、気も新たに息子を見ると、
「よし!3回目や、よし!4回目っ」…と、コケた回数を数えています。どうやら10回コケたら乗れるようになる、が琴線に触れたようで、怒涛のコケラッシュ。おお、素直!と感心しながらも、あんな闇雲にコケるだけじゃなあと、どの口が言ったアドバイスだかすっかり忘れて見ていると、あれよあれよといつの間にやら乗れるようになってしまいました。
「ほんまや、8回コケたら乗れるようになった!」と大喜びの息子を前に、昭和のKKDも大切ね、と、一周回って戻ってきたのでした。習うより慣れろもある意味正しい。きっと彼も、自分の子供には似たようなアドバイスをすることでしょう。
KKDのバランスについて少し付け加えるならば、経験が浅い若いうちは「仮説・検証・データ」で語る、経験を積んでベテランになってくると「仮説・検証・データ」だけではわからない洞察を含んだ「勘・経験・度胸」で語る、というイメージでしょうか。
自転車と同じくKKDの使い分けもバランス感覚が必要、ということで。
(安部)